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終末期の過ごし方~あなたは考えたことがありますか?準備していますか?

福祉と生活ケア研究チーム 終末期ケアのあり方 島田千穂・平山亮

 

終末期の準備が必要な理由

 皆さんは、最期をどこで、どのように迎えたいか、考えたことがあるでしょうか。このような質問をすると、「縁起でもないことを言わないで」と怒る方がいます。また「いくら考えたって、この先どうなるかわからないんだから、考えたって無駄」という当然のお言葉を聞くこともあります。「私はピンピンコロリがいいと思っています」と理想の死に方を語ってくれる方もいらっしゃいます。
 私たちは、人生の最期について事前に考え、少しずつ決めていく過程について、(決められないという事実も含めて)研究しています。このような過程のことを、欧米では「アドバンスケアプランニング」と呼んで、誰もが終末期について考えられるような書式や援助方法を考える研究が進められています。日本でも、同様の取り組みが広がりつつあります1)
 いろいろな国でこのような取り組みが必要だと考えられているのには、理由があります。人生最期の段階で、本人の希望に添ったケアを提供したいと思っても、意思が伝えられない状況になることが多いからです。衰えていくことは、誰でも考えたくないテーマですが、人間は、衰えていずれ死ぬことを避けることはできません。
 しかし、死までのプロセスは様々です。死が近いと分かってから短期間で終わる場合もありますし、長期にわたり少しずつその過程を経る場合もあります。だから一括りにして考えることは難しいのですが、最近話題に上がることが多い「胃ろう」を例に挙げて、考えてみましょう。

 

例 ハナコさん(90歳女性)の場合

 

 ハナコさんは、介護施設に入って10年になります。最近は認知症も進み寝たきりで、面会に行っても息子や孫の顔が見分けられなくなっています。食事が飲み込みにくくなり、肺炎で入院しました。入院先の病院の医師から、十分な栄養を摂るためには「胃ろう」が必要と言われました。医師の見立てでは、「胃ろう」をすれば1年は生きられるだろうということでした。「胃ろう」をしなければ、少しずつ食べる量が減っていき、自然に亡くなるプロセスを辿ることが予測されます。

 

 「胃ろう」とは、口から飲み込むことが難しくなった人のために、胃に直接、流動食や水分や薬を投与する「穴」のことです。手術は内視鏡を使って、短時間でできるため、身体に与える影響が小さく、体力の落ちた寝たきりの人でも手術を受けることができます2)。ここでは、「胃ろう」という手段の問題ではなく、「胃ろう」を付けて生きる本人の生き方に着目してみましょう。
 まず、介護する子どもの立場で考えてみましょう。ハナコさんは自分を育ててくれた親です。少しでも長生きしてほしいと思う気持ちが強いかもしれません。ハナコさんの命を左右するのが自分だと考えると、「胃ろう」という選択肢があるなら使いたいと思うでしょう。これは子どもの立場であれば、当然の考え方であると言えます。
 ここで、人生の最期を生きているハナコさん本人に、視点を移してみましょう。認知症があり、寝たきりで、食事が食べられなくなった時、「胃ろう」で栄養を摂りながら生活することは、ハナコさんの意思として望む生き方でしょうか。終末期の選択で必要なことは、何をしてあげたいか、ではなく、それはハナコさんが望む生き方なのかと尋ねることなのです。しかしながら現実はその意思を確認することはできません。
 終末期ケアで大切なことは、介護する立場から精一杯できることという視点ではなく、ハナコさんらしい生き方を考え、最期を送ってもらうためにどうするかを考えることです。そう考えた時、ハナコさんが最期にどう生きたいと思っているのか知りたいと思うのではないでしょうか。
 ハナコさんのような例は、これからも増えると考えられています。この時に判断する基準を家族の側にではなく、本人自身の側に置いて選択できるようにするための事前の準備が、アドバンスケアプランニングです。これからは、家族など頼れる人がいない高齢者も増えます。本人の言葉で、どうしてほしいかを事前に考え、伝え、残しておく仕組みが必要とされているのです。

 

 

いつから準備しておけばいいの?

 

 終末期の準備を、死後の準備だけのことと誤解している人が多いようです。死後必要になる墓、遺言書、相続のことは、比較的多くの人が準備しようと考えます。これらも大切ですが、もっと大切なのは、死に向かいつつ生きている時のことです。加齢は、機能低下の過程です。その低下速度を遅くしたり、急激な低下を防いだりすることはできても、低下そのものを止めることはできません。以前よりも少し具合が悪くなってきたと思ったタイミングが、最悪の事態を想定する良い機会だと思います。現在は優れた医療技術や薬のおかげで、すぐに最悪の事態にならないことが多いわけですが、何度となく訪れる機会の度に、備えておいても無駄にはなりません。
 では、どのくらいの人が終末期について考えたり、人に伝えたりしているのでしょうか。私たちは、当センターの外来患者さんにご協力いただき、終末期を想定した場合にどのような医療やケアを受けたいか、ご家族と話したことがあるか、記録に残したことがあるか、を調査しました3)。ご家族や友人と話したことがある人は44%、記録に残している人は12%でした(図1)。調査の後、私たちは終末期のことを記録として残してくれる人をもっと増やしたいと考えて、ライフデザインノート(図2)を作成、配布し、そのノートに書いてもらう研究を行いました。そして、ノートに書くという作業がどのような経験になったのか、参加者にインタビュー調査を行いました。

 

 

図1:終末期医療の希望の共有

 

 

図2:ライフデザインノート

 

自分で決めてくださいと言われても・・・

 まずノートが、「終末期のことを考え、書こうとする動機づけになった」という意見がありました。漠然と書いておいた方が良いと考えていても、何を書いたら良いかわからなかったが、ノートがきっかけになったというものでした。夫を看取った経験のある参加者は、「(夫の死を経験したので)いつも自分がどのように最期を迎えるかを考えていた。書く機会があって良かった」と発言されていました。一方、書いておいた方が良いと思い、ノートが渡されていたにもかかわらず、やはり書けなかったという意見もありました。
 書かなかった理由の一つは、将来の状態が不確定で、この先自分がどんな状態になるかわからない、そして考えは変わるかもしれないといった意見でした。具体的には『延命はできたらやってほしくないが、現実にその場になったら変わるかもしれない』『生と死とかあまり想像できない、時間が経つと変わってくる』『その時はその時で終わっちゃうんです』といったものでした。
 もう一つの書かなかった理由は、希望が特に明確ではないことでした。希望と聞かれれば、それは「迷惑をかけたくないこと」と語る人が多くいらっしゃいました。「迷惑をかける」という言葉は、「相手」がいることを前提にしています。自分がどう生きたいかという生き方には、必ず周囲の人と共にあることが前提となり、その人たちからみて「ありたい自分」が語られるのです。具体的には、『病気になって介護が必要になっても迷惑をかけたくないので、迷惑かけないようにしっかり書いておこうかなと思います』『寝たきりになると途端に家族に、子どもたちに迷惑がかかるっていうのを一番に考えます』といった意見でした。
 逆に迷惑をかけないと決めているのであえて書かない、書く必要がないと語られる方もおりました。具体的には、『自分は自分でと思っているので、息子にお願いしたいことはないので、書きません』といった意見です。そして、「迷惑」の内容は、相手が誰かによって変わります。誰に頼るかによって、自分自身の希望は変化する可能性を示しています。例えば、『娘夫婦は共稼ぎしてるので迷惑かけたくない。話し合わなきゃと思いますが切り出せない』といったものです。
 事前に希望を書こうとしても、自分自身の生き方や生活だけのことではなく、周囲の人への影響を考えて希望が出せない現状を示しています。

 

 

事前に準備できること

 この研究で、自分一人では書けないと考える人が多く、その理由は、相手あっての希望だからだということがわかってきました。意思は、時、場所、関係性、外的環境、内的状態などの状況に依存する性質があると捉えることができます4)。これまで見てきたように、終末期の希望を考える時も、その相手が誰かによって、伝える内容は異なると考えられます。まずは、自分が寝たきりになった場合を想像し、自分では意見を言えなくなった時、自分の生き方の決定を誰に託したいと思うかを考えてみることにしましょう。誰に伝えるか、誰に託すかを決めると、伝える希望が明確になってくるのではないでしょうか。

 

 

希望は共同作業で創られる

 誰に託したいか、そしてどのような生き方を望むかが漠然と整理できてきたら、ぜひその人と実際に対話の機会を作ってください。伝えたい人との対話によって、人生最期の生き方の希望が生み出されます。最期までどう過ごしたいかを周囲の人にあらかじめ伝えておくと、まだ自分で決めることができる場合でも治療や療養生活が選択しやすくなるかもしれません。
 たとえば、苦痛なく穏やかに最期を過ごしたいと考える人と、多少苦痛があったとしても最期まで治療に賭けたいと考える人とでは、早いうちから治療の選択は変わるかもしれません。また、冒頭の例のハナコさんが、寝たきりの期間はできるだけ短い方が良いと考える人であった場合と、どんな状態であっても長生きしたいと思う人であった場合とでは、「胃ろう」を選択するかどうかの判断が異なります。
 終末期の希望を共に創るメンバーには、家族だけでなく、医療者やケアを提供する専門職も含まれます。終末期に近くなればなるほど、医療やケアの選択には医学的な価値に加えて、どう生きたいかの個別的な価値観が必要とされます。終末期に向けた生き方の希望は、医療者や家族など周囲の人と共に、時間をかけて創りあげていくものです。現在の生き方の延長線上にある終末期について、周囲の人と一緒に考えることのできる仕組みづくりが今後の研究課題です。

 

 

1)厚生労働省.患者の意思を尊重した人生の最終段階における医療体制について.(2015年9月27日アクセス)
2)清水哲郎、会田薫子.高齢者ケアと人工栄養を考える.医学と看護社2013
3)島田千穂, 中里和弘, 荒井和子, et al. 終末期医療に関する事前の希望伝達の実態とその背景. 日本老年医学会雑誌 2015; 52: 79-85.
4)竹村和久. 状況依存的意思決定の定性的モデル-心的モノサシ理論による説明-. 認知科学 1998; 5: 17-34.

 

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