第43話 元気を取り戻す(その9)

元気を取り戻す(その9)

 旅情

 旅には、空間的な意味と時間的な意味がある、両者は日常と非日常を無意識に実感する原因となるが、加齢によって意味も変わるらしい。
 海外旅行で、どのくらいの距離や時間を経ると、日常生活を忘れられるものだろうか?グアムや台湾ではまだ日常感覚や予定の心配から解き放たれなかった。スポーツの結果をパケ放題なしの携帯でチェックし、数万円の請求書に愕然としたことも在る。
 地球を半周するには最低24時間飛行機に乗らなくてはならない。イグアスの滝に着いたのは、成田から乗り継ぎを入れ35時間後であった。トイレを流すと水流が逆で、南半球であることがわかる。このころ日本の「に」の字も忘れていた。2万キロは十分な非日常の距離であろう。
 30年前にオーストラリアのアデレードに留学した時、休日に車で12時間砂漠を北上したことがある。次第に暑くなる中、さらにサバンナを走らすこと十数分、ユランブラ渓谷につく、徒歩20数分アボリジニーの壁画がある洞窟に到着。振り向けば広大な平原に絶句。起伏の在る丘陵を縦横にぬけ、野生のカンガルー、エミュー、足の短いカンガルーのワラビー、蜥蜴などに頻繁に遭遇した。車にはねられて死んでいるカンガルーも三匹以上確認した。昼はフリンダースの聖地ウィルペナ池まで徒歩で。展望台からみたその地は、まさに「失われた世界」そのものであった。数日前、東京にいたことが遠い過去のことに感じられた。幼き日の自然との触れ合いさえ吹き飛びそうな強烈な世界であった。
 ようやく夕陽が傾きだしたころ、宿泊地のパラチルナに到着。1837年に建てられたBush Pubの最初の御馳走は地平線に沈む夕陽であった。南、北、西は地平線の丸みのみあり。西の地平にゆっくり沈んでゆく夕陽。しばし茫然とすると、南の空に南十字星が。皆でAustralian Flyを追い払いながら、ビールで乾杯。Bush Pub のひとこぶ駱駝のソーセージ、サラミが絶品、エミューもくせがない、カンガルーはやや臭みあり。シェフ、マスターと深夜1時まで歓談した。旅情が完全に身に染みるには、時空の助けが必要だと思った。
 私は長野県松本の出身である。時々故郷に帰ると、塩尻では、穂高連山と八ヶ岳が同時に見えるポイントがあるが、地元の人は何も感じない。日常の借景に過ぎない。きっと幼いころ自分も同じだったろう。都会に職を求めて、時に帰るからこそ、風景が身にしみる旅情が湧くのだろう。
 ところが、最近映画をみても、近所を散歩しても、空の青さや、雲の動きが目に染みるようになった。加齢、歳を重ねた旅行は、日常に旅情を感じる、時間的な重みが、高齢者へのささやかなプレゼントかなと一人納得した。