研究所NEWS No.314

2024年07月発行

研究所NEWS No.314 PDF版

内容

《注目記事》

認知症未来社会創造センターと研究成果のご紹介
・認知症未来社会創造センターについて/認知症未来社会創造センター センター長 粟田主一
・健康長寿データバンクとバイオバンクの確立/バイオロジー研究部門 データベース担当 金井信雄・認知症未来社会創造センター 副センター長 バイオロジー研究部門 バイオバンク担当 石神明人
・バイオマーカーを用いた新たな診断技術の開発/バイオマーカー部門 副院長 岩田淳


《その他(PDFでお読みいただけます)》
・センター長交代について
・所内研究討論会レポート
・友の会交流会レポート
・科学技術週間参加行事レポート
・新入職員紹介
・科学研究費助成事業の採択状況
・第169回老年学・老年医学公開講座
主なマスコミ報道/編集後記

認知症未来社会創造センターと研究成果のご紹介

認知症未来社会創造センターについて/認知症未来社会創造センター センター長 粟田主一

 東京都健康長寿医療センターでは、2020年に「自治体、医療福祉、産業、アカデミアの有機的な共同作業を持続的に推進し、認知症のリスクを減らし、理解を深め、暮らしやすい街を創り上げる」という大目標を掲げ、病院と研究所が協働で進める5か年プロジェクトとして認知症未来社会創造センターを発足させました。5つの研究部門から成り立つ本プロジェクトは、令和6年度が最終年度となります。

 そこで研究所NEWSでは、夏号、秋号、冬号の3回にわたって、認知症未来社会創造センターの取組みを紹介する記事を連載することにいたしました。はじめに、プロジェクト全体の概要を説明いたします。続いて、主な研究成果や今後の展望をそれぞれの研究責任者が解説していきます。

健康長寿データバンクとバイオバンクの確立

健康長寿データバンクについて/バイオロジー研究部門 データベース担当 金井信雄

 認知症を早期発見・早期治療を促進していくには、認知症をはじめとする病気の原因を突き止める研究や、治療薬や治療方法の開発など様々な研究開発を進めていく必要があります。近年、人工知能(AI)等の新規技術の開発が活発化しつつありますが、そのような研究開発を当センターだけで行うことは難しく、民間企業・国の行政機関や地方自治体・他の大学や研究機関(いずれも海外を含みます。)と共に進めていく必要があります。一方、診療情報を用いた研究開発・商品化を企業等が行う場合、事前に患者さんの同意を得られず、研究開発が速やかに行えないケースが生じています。
 こういった課題を解決していくために、認知症未来社会創造センターでは病院と研究所が一体となって、大都市東京での高齢者のビッグデータを収集・管理していくための「健康長寿データバンク」の構築を進めています。「健康長寿データバンク」では、当センターを受診する患者さんから取得した診療情報をデータバンクに蓄積しています。これらを国内外の研究機関や企業が、AIを始めとする新規技術を用いた広い範囲の医学研究及び医薬品・医療機器等の開発・商品化のために利活用しています。患者さんには、本計画についてご理解いただいたうえで、同意署名をいただきます。同意された患者さんの診療情報は個人を識別することができる記述等を削除・置換した上で、整理・分類して、データバンクに蓄積します。医学研究開発では、診療情報を利用し多面的な解析を行うため、多くの患者さんの協力が必要です。多くの患者さんの診療情報を集めてデータバンクを活発に利活用できるようにすると、より早く、よりよい医薬品・医療機器等の開発が進み、人々の健康や医療の発展に役立つことが期待されます。
 健康長寿データバンクの取り組みに、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

バイオバンクについて/認知症未来社会創造センター 副センター長 バイオロジー部門 バイオバンク担当 石神明人

 認知症は、今や特別な病気ではありません。認知症に罹患する最大のリスクは加齢です。そのため、年を取るにつれ、誰もが認知症を発症する可能性があります。残念なことですが、認知症を完全に治す薬や有効な治療法は、未だ開発されていません。しかし、認知症になる兆候を早期に発見できれば、それ以降の進行を遅らせることは可能です。報道等でご存じかも知れませんが、昨年(2023年)12月13日に、アルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)の原因物質であるアミロイドβを取り除き、その進行を遅らせる治療薬「レカネマブ(商品名:レケンビ)」が厚生労働省の諮問機関・中央社会保険医療協議会で了承され、同年12月20日に発売されました。当センターでも、昨年末より投与条件を満たす患者さんにレカネマブが投与されています。
 レカネマブを投与するためには、認知症の臨床診断はもちろんのこと、様々な検査による客観的評価が必要です。特に、脳へのアミロイドβの蓄積が認められることが必須条件です。脳へのアミロイドβの蓄積を証明する検査には、アミロイドPET(Positron Emission Tomography、陽電子放出断層撮影)検査と腰椎穿刺による脳脊髄液の検査があります。このうち、どちらか一方を検査する必要があります。そして、検査結果を総合的に判断し、レカネマブの投与条件に適合するかを判定します。
 現在、アミロイドβを標的としたレカネマブ以外にも、認知症の進行を遅らせる薬が多く開発されています。実際にタウタンパク質を標的とした医薬品の開発も進行しています。認知症に有効な医薬品の開発には、認知症を早期に判定できるバイオマーカーが必要です。有用な早期バイオマーカーを開発するためには、認知症の患者さんや軽度認知障害(MCI:Mild CognitiveImpairment)、健常者の方々より、同意を得て適切に採取、保存、管理された生体試料(血液、髄液、DNAなど)を用いた基礎・臨床研究が必須です。貴重な生体試料は、認知症未来社会創造センターバイオバンクで個人が特定できないように匿名化し、倫理審査を経て、企業、公的機関、大学などにも提供します。バイオバンクでは、大都市東京に暮らす都民の皆さんの協力を得ながら、東京都とも連携し、認知症基本法にある「共生社会」の実現に向けた事業を推進して参ります。今後ともご支援頂けますようお願い申し上げます。

バイオマーカーを用いた新たな診断技術の開発/バイオマーカー部門 副院長 岩田淳

認知症の代表的疾患であるアルツハイマー病に新しい治療薬が2023年に発売されたことを皆さんはご存じでしょうか。レカネマブというお薬ですが、画期的な点としては今まではアルツハイマー病に対しては症状を軽くする薬しか無かったのが、病気の根っこに働きかける事のできる薬剤が生まれたという点です。別の病気で言えば、インフルエンザにかかると熱が出たり関節が痛くなったりしますが、その時に痛み止めや解熱剤を処方してもらう事があります。これらは症状を改善してくれますが、インフルエンザの原因のウイルスには何もしてくれません。アルツハイマー病にも今までは治療薬はありましたが、インフルエンザに対する解熱剤の位置づけでした。インフルエンザのウイルスそのものを退治してくれる薬剤があればより良い治療となるはずで、レカネマブはアルツハイマー病でそのような役割を持っています。

 そこで問題となるのは「診断」です。インフルエンザかどうかは検査で調べますよね。でもアルツハイマー病であるかを調べる検査はようやく始める事が出来る様になったのです。皆さんは、「あれ? MRIとかとれば分かるのでは?」と思われるのではないでしょうか。結論から言いますと分かりません。もの忘れがあって脳が萎縮していても、アルツハイマー病でない可能性が30-50%くらいもあるのです。どんなに症状がアルツハイマー病に似ていても、脳の中で起こっている変化がアルツハイマー病でなければレカネマブは効果がありません。先程のたとえで言えば、熱が出て咳が出ている患者さんがインフルエンザかコロナなのかは検査をしないと区別がつかないのと同じです。そのために今では腰椎穿刺やPET検査という検査を行って、アルツハイマー病かどうか診断しています。でもこれらの検査にはちょっと問題があるのです。腰椎穿刺とは腰の奥まで針を刺してその中にある脳脊髄液という液体をとってアルツハイマー病かどうかを調べる検査です。PET検査は特殊な薬剤を注射して脳の中にアルツハイマー病の原因となる物質があるかを見る検査です。どちらも安全だし、お勧めできる検査ではあるのですが、検査にかかる費用や時間の点で患者さん、医師双方への負担が大きい検査です。そこで新たな可能性を持っているのが血液検査です。実は、人間では脳の中でおこっている事は血液検査ではわからないと言われてきました。これは、脳と血液の間にはとても強いバリアがあって、お互いが往き来できないからなのです。しかし、とても高感度な方法を用いれば、実は脳の中で起こっている事が血液検査で分かる事が最近分かってきました。この方法を用いて、PETとか腰椎穿刺の代わりになる血液検査が研究レベルでは可能となりつつあります。これが認知症診断の為の血液検査です。

 ただ、課題はまだ多くあります。それは、血液検査だけではまだ正確に診断出来るかどうかが分からないという事です。つまり、もともと用いていたPET検査や腰椎穿刺の結果と照らし合わせて、血液検査でどういう項目をどのように測定すれば正確な診断になるのか、という点を現在研究しています。このためには患者さん達のご協力がかかせません。将来は、腰椎穿刺やPET検査をしなくても血液でアルツハイマー病かどうかが診断出来るようになるでしょう。また、血液検査で認知症のリスクが高い人を見つけ出して、症状が出る前に治療をしてしまうという認知症一次予防が可能となる時代も来るでしょう。その時のために皆様のご協力が不可欠である事をご理解いただければ幸いです。

 なお、7月25日(木)に文京シビックホールで開催される「第169回老年学・老年医学公開講座」では、レカネマブについてわかりやすくお話します。ぜひ足をお運びください。

※研究所NEWS PDF版では更に多くの写真などをフルカラーで掲載しております、是非併せてお読みください。