研究所NEWS No.319

2025年10月発行

研究所NEWS No.319 PDF版

内容

《注目記事》
・研究トピックス
・令和7年度 科学技術週間参加行事ダイジェスト

《その他(PDFでお読みいただけます)》
・第34回日本老年学会総会の開催を振り返って
・EXPO2025大阪・関西万博に参加しました
・表彰一覧
・令和7年度 理事長研究奨励費受賞者一覧
・第13回TOBIRA研究交流フォーラムレポート
・夏バテや疲労回復向けレシピ
・令和7年度 競争的資金の採択状況
・第174回老年学・老年医学公開講座広告
・第175回老年学・老年医学公開講座広告
・主なマスコミ報道
・編集後記

研究トピックス

 このコーナーでは、当センターが取り組む研究成果をわかりやすくご紹介します。今回は、2025年4月に昇任した藤田専門副部長の研究トピックスの内容を詳しくお届けします。

血液から未来の健康を探る〜血中GDF15タンパク質と死亡リスクの関係~

老化制御研究チーム 専門副部長 藤田 泰典

はじめに

 みなさんは「バイオマーカー」という言葉を耳にされたことがありますか?あまり馴染みのない言葉かも知れませんが、医学研究の分野では非常に良く使われる用語です。バイオマーカーとは、私たちの体内にある物質のうち、病気の有無や体の状態を知るための「目印」となるものを指します。健康診断や病院での血液検査では、病気の有無や健康状態を調べるために、血液中に含まれるバイオマーカーが測定されています。たとえば、糖尿病の大切な指標である血糖値は、血液中のグルコース(ブドウ糖)の量を測定しており、このグルコースがバイオマーカーの一例です。このように、病気や健康状態によって変化するバイオマーカーは、病気の早期発見や治療効果の評価などに役立ちます。そのため、血液中に無数に存在する物質の中から、新たなバイオマーカーとなる物質を見つけ出すための研究が盛んに行われています。

バイオバンクとは?

 バイオマーカーの研究・開発には、多くの方の血液や関連情報が必要です。バイオバンクは、同意を得た上で血液などの試料と、生活習慣や医療情報などを収集・保管し、研究に活用するための仕組みや施設のことです。国内外の大学や研究施設では、近年バイオバンクの設置が進んでおり、イギリスの「UK バイオバンク」では50 万人以上のデータが集められ、さまざまな研究に活用されています。私たちのセンターでも、患者さんや地域住民の皆さまのご協力のもと、バイオバンクの活動を進めています。

高齢者に多い病気の発症リスクに関係する血中タンパク質

 病気の発症リスクを予測できるバイオマーカーは、病気の予防や早期発見にとって非常に有用です。これまでは1つの分子をバイオマーカーとする研究が主流でしたが、最近では複数のタンパク質の組み合わせでリスクを評価する手法が注目されています。昨年発表された海外の研究では、UK バイオバンクの約4 万人分の血液の解析データをもとに、約1400 種類の血中タンパク質の中から加齢性疾患に関連するものを特定し、それらをもとに発症リスクの予測に有用なスコアを開発しています。一方、特定されたタンパク質の中で特に興味が持たれるのが「growth differentiation factor 15 (GDF15)」というタンパク質です。その研究データによると、血中GDF15 濃度が高いほど、さまざまな加齢性疾患の発症リスクが高くなる可能性があります。

ミトコンドリア病とGDF15タンパク質

 実はこのGDF15は、「ミトコンドリア病」の研究において、私たちが注目してきた分子です。ミトコンドリアは細胞の中に存在する小さな器官で、栄養素からエネルギーを生み出す重要な働きを担っています。ミトコンドリア病では、遺伝子の変異によりこのミトコンドリアの機能が低下し、細胞がエネルギー不足に陥ります。その結果、細胞が正常に働けなくなり、さまざまな臓器や組織に症状が現れます。症状は、脳卒中、けいれん、精神症状、筋力低下、心筋症、低身長、網膜色素変性症、感音難聴、糸球体硬化症、貧血、肝機能障害などが挙げられます。これらの症状は、発症の時期や種類、重症度も人によって大きく異なります。そのため、ミトコンドリア病は治療や診断が非常に難しい病気とされています。私たちは、ミトコンドリアが障害された細胞からGDF15がたくさん分泌されることを明らかにし、実際にミトコンドリア病の患者さんの血液中で、GDF15濃度が上昇していることを確認しました(図1)。
 ミトコンドリア病ではなくても、加齢に伴いミトコンドリアの機能が徐々に低下することが知られており、老化や加齢性疾患との関係も報告されています。そのため、GDF15 に着目した老化研究も重要だと考えられます。


図1 ミトコンドリアが障害された細胞から分泌されるGDF15タンパク質

地域在住高齢者における血中GDF15と死亡リスク

 私たちは社会科学系の研究チームと共同で、地域に住む高齢者を対象としたコホート研究に参加いただいた約1800人分の血液検体を用いて、GDF15濃度の解析を行いました。GDF15濃度に基づき参加者を4つのグループに分け、健康状態との関連を解析した結果、GDF15濃度が最も高いグループでは、最も低いグループに比べて死亡リスクが約2 倍に高まっていることが分かりました(図2)。また、このリスク上昇に腎機能低下が一部関係している可能性も推察されました。海外でも同様の報告がなされており、国や地域を問わず、GDF15は寿命に関わる重要な指標である可能性があります。

図2 高齢者におけるGDF15と死亡リスクの関係

おわりに

 バイオバンクやコホート研究を活用した研究により、血中GDF15 濃度が高いほど、加齢性疾患や死亡のリスクが高いことが明らかになってきました。では、GDF15 の増加を抑えるにはどうすればよいのでしょうか?残念ながら、今のところその答えは出ておりません。GDF15 はミトコンドリアの機能障害など、細胞内のストレスによって増加します。つまり、GDF15 を多く分泌している細胞を特定し、その原因となるストレスを明らかにすることが、病気の予防につながると考えられます。現在私たちは、高齢期にGDF15 を分泌する細胞の特定と、その特徴の解明を進めています。将来的には、加齢性疾患の予防法や治療法の開発に役立つことを期待しています。

令和7年度 科学技術週間参加行事 ダイジェスト

 令和7年4月16日(水)に科学技術週間参加行事が開催されました。ここでは、当日の講演内容をダイジェストで皆さまにもお届けいたします。

糖鎖研究から見る心臓の加齢変化

加齢変容研究チーム 研究員 板倉 陽子

はじめに

 心臓は生涯にわたり活動し続ける働き者の臓器ですが、加齢とともに機能は徐々に衰えていきます。一方で、実際にどのように衰え、どの段階で疾患に陥るのかは明確ではありません。だからこそ、心臓の加齢変化をきちんと捉え、機能低下と疾患の関係を正確に理解することが、健康長寿の実現に不可欠です。

心臓の構造と機能について

 心臓は右心房、右心室、左心房、左心室の4つの部屋からなり、大動脈や肺動脈などの血管と弁でつながれ、血液が逆流しないようになっています。心室の収縮・拡張により全身へ血液を送るポンプ機能が心臓の主要な役割です(図1)。一般的に、心臓が正常かどうかは、この時の心臓の大きさや壁の厚さ、血液を送り出す量(1分間の心拍数×1回に排出する血液量)などで診断されます。

図 1 心臓は拡張や収縮により全身へ血液を送るポンプの役割をする(左)。実験で使用した心臓の領域(右)。

糖鎖による老化研究

 DNAやタンパク質に続く「第3の生命鎖」と呼ばれるほど生体内で重要な役目をしている糖鎖という分子があります。(図2)。糖鎖は細胞表層での分子認識やタンパク質の構造維持、情報伝達などに関わり、ABO式血液型の決定やインフルエンザウィルス感染の判断にも関連しています。糖鎖の構造は細胞の種類や状態により異なることがわかっています。老化に伴う細胞変化も糖鎖を調べることで把握できると考え、私たちは糖鎖に着目した老化研究に取り組んでいます。

図 2 体の中で機能的に重要な役割を果たす糖鎖。生体の3大生命鎖(上)。心臓を構成する細胞例と糖鎖によるタンパク質の修飾図(下)。

 糖鎖に特異的に結合するレクチンというタンパク質を用いると、網羅的に糖鎖構造を解析できます。なかでもレクチンマイクロアレイ法(図3)は、複数のレクチンを用いて細胞表層の糖鎖を検出する技術で、老化に伴う細胞変化の解明に有効です。

図 3 レクチンマイクロアレイ法による糖鎖解析の流れ。細胞や組織から抽出したタンパク質を蛍光標識し、レクチンとの相互作用から糖鎖構造を網羅的に調べる。

心臓における糖鎖変化

 心臓の培養細胞では、この技術を用いて細胞の老化に伴うわずかな糖鎖変化が確認されています。マウスの心臓の複数箇所(図1右)からタンパク質を回収し、実際の生体環境での糖鎖を調査しました。その結果、心臓内腔側と壁側で糖鎖の種類に微妙な差があり(図4)、加齢とともに細胞の膜に変形・断裂・肥厚のような変化が観察されました(図5)。これは糖鎖による細胞接着や情報伝達に影響を与える可能性があります。さらに、シアル酸やαガラクトースなどの糖鎖が老化により減少し、部位ごとに減少速度が異なっていました。特に左室壁では硬化、肥厚、菲薄といった臨床的変化が起きやすく、αガラクトースのような血管内皮細胞上の糖鎖変化は心機能に大きな負荷をかけると考えられます。


図 4 マウス心臓の加齢による糖鎖変化の特徴。心臓の内側に多く見られた糖鎖の模式図(上)。内腔側では若齢で糖鎖が変化し成熟・老齢マウスの糖鎖組成が類似、壁側では老齢になってから糖鎖が変化する傾向にあった(下)。




図 5 若齢では細胞膜を示す緑の線が明確なのに対し、老齢では歪んだり途切れたり、ところどころ幅が広くなるような変化が観察された。

心臓の老化とは

 普段、「心臓が疲れて元気がない」と意識することは少ないですが、心臓も年齢とともに確実に老化します。それは糖鎖変化として現れ、最終的には心機能の低下や疾患リスクを高めます。これらの分子変化を早期に捉える技術やマーカーの探索が、病気を防ぐ鍵となります。

おわりに

 心臓の老化を糖鎖の観点から解析することで、①疾患との違いの把握②予防・早期診断③治療・薬剤開発への応用が期待できます。将来的にはバイオマーカーのように血液や尿などの検体から心臓の"元気度"を評価できる日が来るかもしれません。今後は、さらに詳細な糖鎖の構造と、糖鎖の変化がどのような意義を有するかについての研究を進めて参ります。
 休むことなく働いている皆さん自身の心臓、そして自分自身をいたわりほめてあげて下さい。