<プレスリリース>「病期特異的な"相分離"を介した新しい遺伝子情報を制御する仕組み」

発表内容の概要

東京都健康長寿医療センター老化機構研究チームシステム加齢医学研究の井上聡研究部長、高山賢一専門副部長は慶應義塾大学医学部泌尿器科学教室の小坂威雄講師らと共同研究を行い前立腺がんの病期特異的な"相分離"を介した新しい遺伝子情報を制御する仕組みを発見しました。遺伝子の情報を読み解くタンパク質同士による集合体を形成するときに相分離により協調作用を発揮し、がんを悪くする遺伝子を活性化されていました。さらにこの作用は病気の進行に伴って変化することでがん細胞が治療への抵抗性を獲得している過程で働いていました。本研究は、Nature publishing group発行の国際科学雑誌「Nature Communications」に 6月18日に発表されます。

研究の背景

最新の研究によって、ヒトをはじめ生命の源である個々の細胞内のタンパク質は、不均一な状態であることが明らかになってきています。これらのタンパク質の物理的な性質により集合体を形成する"相分離"によって、区分された液滴のような領域が形成され、生体反応の"場"が形成されます。この相分離現象は、私たちの身近なところでは、水に油を垂らした時にできる油滴などにおいてみられますが、このような現象が、私たちの細胞の中でも無数に起きているのです。相分離は、分子レベルでの物理現象と、細胞レベルでの生命機能をつなぐ概念としても注目されています。

また細胞の中心である核の中に存在する暗号コードDNAを読み解くことで遺伝情報が活性化されることが知られています。遺伝情報を読み解くタンパク質は"転写因子"と言われる種類のタンパク質で、これまでの研究でがんをはじめ様々な病気において転写因子の異常が報告されてきました。また転写因子はタンパク質の中でもはっきりとした形をとらない配列が集中していることが多いと報告され、これは"相分離"を起こしやすいタンパク質の性質であることから注目されていました。

研究成果の概要

前立腺がんは欧米およびわが国において男性がかかるがん種として最も患者数が多く、健康長寿を損ねることで有名です。このがんに対しては男性ホルモン作用を抑えるホルモン療法や抗がん剤を用いた化学療法を行いますが、やがて薬剤が効かなくなり、再発、難治化して死に至ることが大きな課題となっています。研究チームでは治療抵抗性になったがん組織において発現が上昇する転写因子としてOCT4という転写因子に着目しました。OCT4は前立腺がんを悪性化する男性ホルモン受容体であるアンドロゲン受容体(AR)やフォークヘッド型転写因子(FOXA1)と言われる転写因子などと集合体を形成すること、相分離を起こすことにより(図1)集合体の形成能を高め、細胞内ではがんを悪性化する遺伝子の情報を読み解く機能を高める(図2)ことを発見しました。また前立腺がんはアンドロゲン受容体がなくなることでホルモン療法が効かない種類のがん(神経内分泌性がん)に進行することが知られていますが、興味深いことにこのタイプのがん細胞においては別の転写因子(NRF1)と結合し同様に相分離を介して協調関係が高まることを見出しました(図3)。かつウイルスの増殖を抑える核酸アナログと呼ばれる種類の薬剤であるリバビリンを用いることでこれらの集合体の形成を弱めることが見出されました。そのためリバビリンはOCT4が高く発現しているがんに対して抗がん剤の効きを良くする作用を持つことが示されています。

研究の意義

本研究によりいくつもの転写因子が相分離を利用して集合する能力を高め、遺伝子の情報をより読み解りやすくしている仕組みが明らかとなりました。これは細胞内での生物学的に重要な意味があると思われます。またOCT4を中心とした転写因子の集合体の形成を促す相分離という物理化学現象を抑制することをがん治療に応用できること、特に抗がん剤が効かなくなったタイプのがんにおいて治療の標的になることが示されました。実際に慶應義塾大学病院においては抗がん剤に抵抗するがんに対してリバビリンを用いて抗がん剤の効果を高める臨床試験も進行しており今後のがん治療の進展に貢献するものと思われます。

【掲載誌】

Nature Publishing Group発行の国際科学雑誌「Nature Communications」

論文タイトル: Subtype-specific collaborative transcription factor networks are promoted by OCT4 in the progression of prostate cancer
「前立腺がんの進行において病期特異的な協調する転写因子ネットワークはOCT4により促進される」

著者:高山賢一1、小坂威雄2、鈴木 貴3、本郷周2、大家基嗣2、藤村哲也2、鈴木 穣5、井上 聡1, 6# (#責任著者)

1東京都健康長寿医療センター 研究所 老化機構研究チーム システム加齢医学研究、2慶応義塾大学医学部 泌尿器科学教室、3東北大学医学部 病理検査学、4自治医科大学 腎泌尿器外科学講座、5東京大学大学院 新領域創成科学研究科メディカルゲノム、6埼玉医科大学 ゲノム医学研究センター

用語解説
相分離:均一な混合物からの2つの区別できる相の生成である。 最も一般的な種類の相分離は油と水のような2つの非混和性の液体によるものである。

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プレス資料

(問い合わせ先)

東京都健康長寿医療センター

システム加齢医学 井上聡・高山賢一

電話 03-3964-1141内線4314