近年、超高齢化社会のなかで、加齢や疾患に伴う筋肉量や筋力の低下を示すサルコペニア(用語1)などをはじめとして身体機能の低下を示す健康障害が増加しており、QOL低下や死亡リスクともつながることから問題になっています。さらに、広く国民全体の健康増進やスポーツ能力向上のためにも筋肉のパフォーマンス向上が大きく役立つと考えられています。
筋肉は運動のために大量のエネルギーを必要としますが、このエネルギーは細胞内小器官であるミトコンドリアによって作られています。ミトコンドリアの内部では複合体(用語2)と呼ばれる蛋白質群同士が結合して、さらに大きな集合体であるミトコンドリア超複合体(用語3)を作ることにより、多くのエネルギーを産生することが可能になることが我々を含む最近の研究で明らかになってきました。しかしながら、これまでミトコンドリア超複合体を生きたままの細胞で「見える化」(イメージング)することはできず、その実態はよくわかっていませんでした。東京都健康長寿医療センター研究所の井上聡研究部長、竹岩俊彦研究員らは理化学研究所、埼玉医科大学との共同研究で、世界で初めて、生きた細胞の中でミトコンドリア超複合体の「見える化」に成功しました。さらに、この「見える化」の技術を使って、ミトコンドリア超複合体を増やすことができる薬物を発見しました。この薬物をマウスに与えると運動持久力が高まる(マラソンランナー型になる)ことが分かったことから、本発見は加齢や疾患によって引き起こされるサルコペニアなどの筋疾患を治療する薬物開発だけでなく、広く国民の健康増進や体力向上に役立つことが期待されます。本研究は、英国科学雑誌「Nature Communications」に1月25日に発表されます。
加齢に伴う筋肉量・筋力の低下であるサルコペニアはフレイル(用語4)・要介護の背景となる疾患であり、特に超高齢社会を迎えた本邦において、その予防・治療法の開発は社会的急務となっています。サルコペニアやフレイルの予防には適切な食事とともに、運動・筋肉トレーニングが有効とされています。さらに、広く健常者全体の健康増進、スポーツ能力向上も期待されている分野です。
筋肉が十分に力を発揮し運動を行うためには大量のエネルギーを必要としますが、エネルギーの産生工場として機能するのが筋肉細胞の中にあるミトコンドリアと呼ばれる細胞内小器官であり、その内部では5種類ある複合体の連続した反応によってエネルギーを作り出しています。我々はこれまでに、そのうちの3種類の複合体が集まってより大きな構造体(ミトコンドリア超複合体)となって働くことにより、より多くのエネルギーを産生できることと、マウスにおいて筋肉の運動持久力を高めマラソンランナー型になることを明らかにし、ミトコンドリア超複合体が筋肉の能力を向上させるキープレイヤーであることを見出しました。しかし、生きたままの細胞でミトコンドリア超複合体を「見える化」したり、測定したりする技術がなく、ミトコンドリア超複合体の実態をとらえた観察は困難であり、詳しい働きやどのようにコントロールされているかなどについてはわかっていませんでした。
ミトコンドリア超複合体を生きた細胞の中で「見える化」するため、ミトコンドリア超複合体の構成因子である複合体Iと複合体IVにそれぞれ緑色と赤色の蛍光蛋白質を連結したマウス由来の筋肉細胞を作製しました。この細胞では、複合体Iと複合体IVが距離的に離れて存在しているときには単色で光るだけですが、ミトコンドリア超複合体を形成して複合体Iと複合体IVが近接すると蛍光蛋白質同士も近づくことで緑色と赤色の蛋白質の間でエネルギーの移行が起こり、緑色で蛍光刺激すると赤色が光る現象(Förster resonance energy transfer; FRET) (用語5)が起こります。このFRET現象をレーザー顕微鏡で観察することにより、生きたままの細胞でミトコンドリア超複合体の見える化(可視・定量化)に成功しました(図1)。次に、この作製したミトコンドリア超複合体の見える化が可能なマウス由来の筋肉細胞に1,000種類を超える薬物を加えてFRETを測定し、ミトコンドリア超複合体を増やす薬物を探したところ、リン酸化酵素(用語6)であるspleen tyrosine kinase (SYK) (用語7)に対する阻害薬を発見しました。そこで、さらにもう2つのSYK阻害薬も調べたところ、これらの薬物は全て、ミトコンドリア超複合体の量を増やし、エネルギー代謝を高めることがわかりました。SYK阻害薬の臨床応用を目指して、上記3種類の薬物をモデル動物であるマウスに与えたところ、いずれの薬物もマウスの運動持久力を高める(マラソンランナー型にする)効果があり、筋肉におけるミトコンドリア超複合体の量を増やすことが分かりました。以上の結果は、SYKの適度な抑制が、筋肉細胞でミトコンドリア超複合体を増やし、エネルギー代謝を高め、筋肉の運動能力を向上させることを示すものであり、筋肉の機能の向上による健康増進ならびにサルコペニアを含む筋疾患の予防・治療法への応用が期待されます(図2)。
今回の研究では、ミトコンドリア超複合体の「見える化」技術を開発し、それを活用することで、SYKを抑える薬物がマウスにおいて筋肉の運動能力の向上をもたらすことを明らかにしました。本研究成果は、加齢に伴う筋力の低下や筋疾患のメカニズムの解明とその診断・治療薬開発の応用につながるばかりでなく、運動能力の向上にともなう健康増進にも役立つことが期待されることから、広く都民・国民全体を対象とする健康寿命の延伸(健康長寿)やQOLの向上の実現に向けた応用が期待されます。
【発表雑誌】
雑誌名:Nature Communications
論文名:A FRET-based respirasome assembly screen identifies spleen tyrosine kinase as a target to improve muscle mitochondrial respiration and exercise performance in mice 「FRETに基づくミトコンドリア呼吸鎖超複合体の構築スクリーニングにより脾臓チロシンキナーゼがマウスにおける筋肉ミトコンドリアの呼吸と運動能力の向上のための標的として同定される」
著者:小林 天美1,2、東 浩太郎1、竹岩 俊彦1、北見 俊守3、堀江 公仁子4、池田 和博4、井上 聡1,4# (#責任著者)
1東京都健康長寿医療センター研究所・老化機構研究チーム・システム加齢医学、2東京大学医学部附属病院老年病科、3理化学研究所・生命医科学研究センター・代謝ネットワーク研究チーム、4埼玉医科大学・ゲノム医学研究センター
用語解説
用語1:サルコペニア
加齢や疾患に伴う筋肉量や筋力の低下を指す。サルコペニアは要介護の主要な原因である転倒・骨折につながるため、サルコペニアを診断・治療する方法の開発が求められている。
用語2:複合体
ミトコンドリアの内膜上に存在する蛋白質群。複合体I、II、III、IVによる電子の受け渡し(電子伝達系)とATP合成酵素(複合体V)が行う一連の反応(酸化的リン酸化)によって、酸素を消費しエネルギーの源となるATPを産生する。
用語3:ミトコンドリア超複合体
複合体同士が結合して形成される巨大な集合体。一般的に複合体I、III、IVが超複合体を形成する。超複合体形成はミトコンドリアにおけるエネルギー産生や筋機能の向上等に関わることが解明されつつある。
用語4:フレイル
健康な状態と要介護の状態の中間に位置し、身体的機能や認知機能が低下し健康障害を起こしやすくなっている虚弱な状態。適切な介入・支援により要介護の状態になることを阻止したり、健康な状態に戻ることができる。
用語5:FRET
Förster resonance energy transfer (Förster共鳴エネルギー移動)の略称。二つの蛍光分子が近接した時に、一つの蛍光分子(ドナー)から、もう一つの蛍光分子(アクセプター)にエネルギーが移動することを指す。蛍光分子は、それぞれ特定の波長の光(励起光)に照射されると蛍光を発する。一方、ドナーとアクセプターの蛍光分子が近接した場合、ドナーに対する励起光を照射したときにFRETが起こるためアクセプターから蛍光が発せられる。
用語6:リン酸化酵素
特定の蛋白質にリン酸基をくっつける働きをする蛋白質をリン酸化酵素と呼び、「キナーゼ」とも呼ばれる。蛋白質がリン酸化を受けると働きが変化する場合が多く、細胞の中で、信号を伝える時に利用される。
用語7:SYK
リン酸化酵素であるspleen tyrosine kinase(脾臓チロシンキナーゼ)の略称。B細胞やマクロファージなどの免疫細胞の表面にある免疫受容体が、信号を細胞の中に伝えるときに働くことが知られている。
(問い合わせ先) 東京都健康長寿医療センター研究所 システム加齢医学 井上 聡 電話 03-3964-1141内線 4314 |