東京都健康長寿医療センター 老年病態研究チーム運動器医学の重本和宏 研究部長、森秀一 研究員、大村卓也 研究員、周赫英 研究員、プロテアーム研究部門の津元裕樹 主任研究員らは、慶応大学医学部神経内科、京都がくさい病院神経内科、脳神経内科千葉、東邦大学佐倉病院神経内科、千葉大学医学部神経内科、東京都健康長寿医療センター脳神経内科と共同研究を行い、神経筋損傷、神経筋難病やサルコペニア(加齢性筋委縮症)が原因で神経筋シナプス(運動神経線維と骨格筋のつなぎ目)の機能が障害されると、本来は神経筋シナプスの筋側に限局して発現する受容体蛋白のMuSK (muscle-specific-kinase)が骨格筋全体に広がり、加えてタンパク分解酵素の働きにより筋から切断され血中へ遊離して顕著に増加することを発見しました。本研究により、血液中のMuSK蛋白量を測定すれば、神経筋シナプスの機能障害が起きる神経筋損傷、神経筋難病やサルコペニア(加齢性筋委縮症)の発症前・早期の診断、および治療薬の開発と有効性を判定する有用な血液診断バイオマーカーとして利用できることを明らかにしました。さらに、難治性のMuSK抗体陽性重症筋無力症の発症機構は全く不明でしたが、自己抗原となるMuSK蛋白が上記のメカニズムにより骨格筋から遊離することで、免疫細胞(B細胞)を刺激して自己抗体の産生の原因となることを解明しました。本研究は国際科学雑誌 「Experimental neurology」の電子版に掲載されており、雑誌には2023年3月号に発表されます。
神経筋難病やサルコペニア(加齢性筋委縮症)の発症前期から神経筋シナプスの機能障害(脱神経支配)が起きていることがわかっています。また最近の研究により、神経筋シナプスのMuSK蛋白を活性化すると神経筋難病とサルコペニアの進行を抑制する効果があることが報告されています。しかし、これまでシナプスの機能障害を血液で診断する方法がないため、創薬研究と臨床診断の両方に有用な血液診断バイオマーカーが求められていました。研究グループは、本来は骨格筋の表面に固定されているMuSK蛋白が、筋萎縮が発症する前から起きる神経筋シナプスの機能障害が引き金となって血液中へ切断され遊離すると予想、そして血液診断バイオマーカーとして利用することを考え研究を行いました。
脳からの運動信号が脊髄の運動神経細胞を通り、神経線維の終末部と筋線維と接触して形成される神経筋シナプスを経て、骨格筋全体に伝わることで筋収縮が起きて運動することができます。神経筋シナプスの筋側で限局して発現する受容体型チロシンキナーゼのMuSK蛋白は、運動信号を筋へと伝える神経筋シナプスの機能と形態維持に必須の分子です。
研究チームは、筋の運動神経損傷、神経筋難病やサルコペニアの発症前期から神経筋シナプスの機能が障害されて(脱神経支配)、神経筋シナプスに限局していたMuSK蛋白の発現が骨格筋全体に広がり、加えて蛋白分解酵素(マトリックスプロテアーゼ)の活性が骨格筋も誘導され、MuSK蛋白が蛋白分解酵素の働きにより骨格筋の膜から切断されて血中へ遊離して顕著に増加ことを発見しました。また、神経筋シナプスが再生して治癒する過程で血液中のMuSK蛋白が減少することから、様々な原因による神経筋シナプスの障害の程度と、治癒過程を正確に反映する血液診断バイオマーカーとして利用できることを発見しました。
さらに研究チームは、血液中に遊離したMuSK蛋白が自己免疫疾患の自己抗原となることを見出しました。2006年に研究チームは、MuSK蛋白に反応する自己抗体が、神経筋シナプスの機能を重度に障害して、急速な筋萎縮や呼吸筋障害などを伴う難治性の抗MuSK抗体陽性重症筋無力症が発症することを、世界で最初に報告しました (Shigemoto et al, 2006 , Journal of Clinical Investigation)。抗MuSK抗体陽性の重症筋無力症は、従来の治療に対して難治性の症例が多く、筋力低下から急速に筋萎縮を発症して死に至るケースもありますが、自己抗原の供給源が全く不明で根治治療の研究は進んでいません。今回の研究成果により、抗MuSK抗体陽性の重症筋無力症患者の神経筋シナプスの機能が障害され、それが引き金となり骨格筋から自己抗原のMuSKが血中へ遊離することがわかりました。その結果、全身の血管中に存在する未熟なB細胞が、MuSK抗原で感作され抗MuSK抗体を産生するプラズマB細胞に分化して自己抗体を産生して血中から神経筋シナプスへ運ばれて、機能障害と病態がさらに悪化する悪循環をもたらすことを明らかにしました。
本研究の成果から、血液中のMuSK蛋白の量の測定することで、運動神経損傷、重症筋無力症やその他の神経筋難病、サルコペニアの発症前・早期の診断、および治療薬の有効性を簡単に判定するバイオマーカーとして活用することが期待されます。また、これまで抗MuSK抗体陽性重症筋無力症には副作用の強い免疫抑制剤などの対症療法しかありませんでした。研究チームが発見したバイオマーカーと産生メカニズムを活用して、MuSK抗原の産生を抑制して自己免疫疾患を制御する根治治療薬の開発が可能となりました。
東京都健康長寿医療センター
老年病態研究チーム 研究部長 重本和宏
電話 03-3964-3241 内線4424
Email: kazshige@tmig.or.jp