<プレスリリース>水素ガスが麻酔による神経細胞死を防ぐメカニズムを解明

発表内容の概要

 東京都健康長寿医療センター研究所の池谷真澄研究員、大澤郁朗研究副部長らの研究グループは水素分子の医療応用に関する研究を行っています。この度、新生仔マウスを対象にした研究で、水素ガス吸入が麻酔薬セボフルランによる神経細胞死を抑制し、この作用はタンパク質リン酸化(注1)の制御と関連していることを発見しました。この研究成果は、多様な疾患で神経保護作用を示す水素分子の新たな作用メカニズムを提唱するものです。 研究成果は令和6年6月に国際神経化学会誌である『Journal of Neurochemistry』に掲載されます。

研究目的

 水素ガス吸入は脳梗塞や心停止による脳障害を抑制します。水素分子には抗酸化作用と抗炎症作用があることが多くの疾患モデル研究や臨床研究で示されてきましたが、なぜそのような作用があるのか、メカニズムについてはまだ解明されていません。手術中の全身麻酔薬として広く使われているセボフルランは、げっ歯類新生仔の脳において短時間で神経細胞のアポトーシス(注2)による細胞死を引き起こすことが知られており、発達中の脳における神経毒性が懸念されています。水素ガスの吸入はこの脳障害を抑制することが報告されています。そこで、本研究では、水素ガス吸入がセボフルランによる脳神経細胞のアポトーシスをどのように軽減するのか、その作用メカニズムを明らかにすることを目的として、マウス新生仔脳内で起こる短時間の変化を解析しました。

研究成果の概要

新生仔マウスにセボフルランを3時間投与すると同時に水素ガスを吸入させた結果、以下のことが明らかになりました。(下図参照)

・神経前駆細胞のアポトーシス抑制: セボフルラン投与は脳梁膨大部皮質(注3)の幼弱な神経前駆細胞(注4)でアポトーシスを引き起こしましたが、水素ガスの吸入はこれを著しく抑制しました。特に、水素濃度が1〜8%の時に最も効果的でした。また、アポトーシスを引き起こすc-Junシグナル(注5)がセボフルランによって誘導されますが、水素ガスの吸入によって抑制されていました。

・酸化ストレスの軽減: 水素ガス吸入は、セボフルランによって誘導される脳内の脂質過酸化と酸化的DNA損傷を指標とする酸化ストレス(注6)の増加を顕著に抑制しました。

・タンパク質リン酸化の変化: リン酸化プロテオーム解析(注7)から、セボフルラン投与によって、神経発生やシナプスのシグナル伝達に関与するタンパク質でリン酸化の度合いが大きく変動していました。水素ガスを吸入すると、さらに微小管関連タンパク質ファミリー(注8)のリン酸化が促進されており、こうしたリン酸化の制御が酸化ストレスを抑制しているものと考えられます。

研究の意義

 水素分子には抗酸化作用と抗炎症作用があり、その作用メカニズムにはタンパク質リン酸化の制御があることを明らかにしました。水素分子は水素ガスの吸入と水素水(注9)の飲用によるさまざまな疾患での病態改善効果が報告され、健康長寿に向けた効果的ツールとして世界的に研究が進められています。作用メカニズムの解明はこれらの医学的応用研究を促進するための重要な基礎的知見です。また、本研究では、至適濃度の水素ガス吸入が、麻酔による毒性からの幼若神経の保護に有効であることを示しました。水素ガス吸入は手術中の新生児の脳を保護するための新たな治療戦略として期待されます。

論文情報

【掲載誌】

国際神経化学会誌『Journal of Neurochemistry』に掲載されます。

【掲載論文の英文表題とその和訳】

Inhalation of hydrogen gas mitigates sevoflurane-induced neuronal apoptosis in the neonatal cortex and is associated with changes in protein phosphorylation

水素ガス吸入はタンパク質のリン酸化状態を変化させ、新生仔大脳皮質におけるセボフルラン誘発神経細胞のアポトーシスを緩和する

池谷真澄1、羽富 舞1,2、藤田泰典1、渡辺信博3、伊藤雅史1、川口英夫2、大澤郁朗1

1 東京都健康長寿医療センター研究所・生体調節機能研究
2 東洋大学生命科学部
3 東京都健康長寿医療センター研究所・自律神経機能研究

用語解説

注1)リン酸化
タンパク質などの分子にリン酸基が付加される現象です。細胞内でのタンパク質の活性化や不活性化、シグナル伝達などに関与します。

注2)アポトーシス
細胞が自己プログラムに従って自発的に死ぬ現象です。不要な細胞の除去や、損傷を受けた細胞の排除など、生命の維持において重要な役割を果たします。

注3)脳梁膨大部皮質
大脳皮質の一部で、記憶や将来の出来事の想像などの認知機能に重要な役割を担っています。

注4)神経前駆細胞
神経系の細胞に分化する能力を持つ幼若な細胞です。脳神経系の発達や修復において重要な役割を果たします。

注5)c-Junシグナル
c-Junシグナルは酸化ストレスによって誘導されるアポトーシスを仲介する細胞内シグナル伝達です。

注6)酸化ストレス
過剰な活性酸素種により細胞や組織が損傷を受ける状態を指します。老化や様々な疾患の原因となることが知られています。

注7)リン酸化プロテオーム解析
リン酸化プロテオーム解析は、細胞内でリン酸化されたタンパク質を網羅的に解析する手法で、特定の条件下でどのタンパク質がリン酸化されるかを定量的に知ることができます。

注8)微小管関連タンパク質ファミリー
細胞内の微小管に結合してその機能を調節するタンパク質群です。微小管は細胞骨格の一部を構成し、細胞の形状維持、細胞内輸送、細胞分裂などに重要な役割を果たします。

注9)水素水
飽和濃度に近い水素分子が溶解した水。

プレス概要

(問い合わせ先)
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東京都健康長寿医療センター研究所
老化制御研究チーム 生体調節機能研究
研究副部長 大澤郁朗
電話 03-3964-3241 内線4317
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