東京都健康長寿医療センター研究所の津島博道日本学術振興会特別研究員、 杉本昌隆研究副部長らの研究グループは、細胞老化の生理機能・制御機構に関する研究を行っています。この度、動物モデルを用いた研究から、運動によって筋組織から産出されるPEDFと呼ばれる因子が末梢組織の細胞老化を抑制する働きを持つことが明らかになりました。本研究成果は、運動の作用点の一つがPEDFを介した細胞老化抑制であることを示唆しており、慢性疾患に対する新たな予防や治療法の開発に繋がることが期待されます。
人やマウスの体内には、加齢に伴って老化細胞(細胞老化を起こした細胞、注1)が蓄積します。老化細胞からは様々な物質が分泌され、組織の機能に影響を与えることが知られています。このような老化細胞の作用は、組織の加齢性変化や慢性疾患の一因であることが動物モデルを用いた研究から明らかになっています。
人において、運動は慢性疾患病態を軽減する作用を示し、非薬物療法として運動療法がしばしば用いられます。一方で運動がなぜこのような有益な作用を示すのかについて、特にその生化学的メカニズムは不明でした。人や実験動物(マウス、ラットなど)で、運動は末梢組織で老化細胞を減少させる働きを持つことが多く報告されています。老化細胞の慢性疾患に対する作用から、運動療法の作用点のひとつが細胞老化抑制であることが考えられました。本研究では、動物モデルを用いて運動が細胞老化を抑制するメカニズムについて解析を行いました。
本研究では、筋細胞で産生されるマイオカイン(注2)に着目し、細胞老化を抑制する活性を持つマイオカインの探索を行い、候補となる因子PEDF(注3)を得ました。マウス自発的運動モデルにおける血中動態を調べたところ、運動群では筋組織で発現が上昇し、血中PEDFタンパク質も増加することを確認しました。組換えPEDFタンパク質をマウスに投与すると、肺組織や脂肪組織で老化細胞の減少が認められました。さらに、慢性閉塞性肺疾患(COPD、注4)の主要病態である肺気腫(注5)モデル動物にこの因子を投与したところ、肺組織の老化細胞の減少とともに、呼吸機能低下が抑えられました。COPD患者における血中PEDFを測定したところ、呼吸機能が低下している患者ほど血中PEDF量が低いことが示されました。以前の研究から肺組織の老化細胞は呼吸機能を低下させる作用を持つことが明らかになっており、PEDFが細胞老化を介してCOPD病態に影響を与えることが示唆されました。
以上の結果から、運動はPEDFを介して細胞老化を抑制し、慢性病態を緩和することが示されました。マウスにおいてPEDFの発現は、加齢とともに減少する傾向にあったことから、老化細胞の蓄積や組織機能の低下にも関与する可能性が考えられます。
老化細胞は様々な慢性疾患を増悪化する作用を持ち、老化細胞を標的としたセノリティック薬(注6)の治験が行われている。一方でセノリティック薬には副作用を示すものもあることや、老化細胞の除去が必ずしも生体にとって有益ではないということも指摘されています。運動は、生体が本来持っている細胞老化抑制作用を増強すると考えられ、セノリティック薬のような副作用は少ないと考えられます。しかしながら運動療法はすべての患者に適用できるわけではありません。本研究が目的とした運動療法の生化学的作用点の解明は、運動の有益な作用を享受するための手法の開発へと繋がることが期待されます。
Roles of pigment epithelium-derived factor in exercise-induced suppression of senescence and its impact on lung pathology in mice(運動による老化抑制における色素上皮由来因子PEDFの役割とマウス肺病理への影響)
Aging (Albany NY) 2024 Jun 26;16. doi: 10.18632/aging.205976. Online ahead of print.
津島博道1、多田敬典2、浅井あづさ3、廣瀬美嘉子1、細山 徹3、渡邉 淳3、村上太郎2、杉本昌隆1
1 東京都健康長寿医療センター・老化細胞研究
2 至学館大学・健康科学部
3 国立長寿医療研究センター・研究所
注1) 細胞老化:DNA損傷などのダメージを受けて恒久的な増殖停止状態に陥った細胞。
注2) 筋細胞で産生されて分泌される生理活性物質の総称。
注3) Pigment epithelium-derived factor(色素上皮由来因子):もともとは網膜色素上皮より単離された因子だが、色素上皮以外でも産生される。
注4) 肺気腫と慢性気管支炎を主要病態とする呼吸器疾患。喫煙者、高齢者で有病者が多く、2019年において世界で死因の第3位を占める。肺気腫に対する治療法は確立されていない。
注5) COPDの主要病態のひとつ。肺胞壁の崩壊により周辺の肺胞が融合する。肺胞の総表面積と肺組織弾性の減少により、呼吸機能が低下する。
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