<プレスリリース>アルツハイマー型認知症を防ぐエストロゲン(女性ホルモン)関連受容体の働きを解明

発表内容の概要

 東京都健康長寿医療センター 老化機構研究チーム システム加齢医学研究 井上 聡 研究部長、佐藤 薫 研究員、高山 賢一 専門副部長はエストロゲン(女性ホルモン)関連受容体がアルツハイマー型認知症を防ぐ働きを持つことを解明しました。研究チームはアルツハイマー型認知症に悪影響を及ぼすタウタンパク質のリン酸化を進行させるDKK1タンパク質の量を、本症の脳で不足するエストロゲン関連受容体が抑えていることを見出しました。したがって、 アルツハイマー型認知症の脳組織ではDKK1が増えることによって リン酸化タウが増え、病状が進行することになります。すなわち、エストロゲン関連受容体がWntシグナル伝達経路の活性を低下させるDickkopf-1DKK1)という遺伝子の働きを抑えていることが本研究の鍵となる発見です。この研究には、当センターの高齢者ブレインバンク(代表者:齊藤 祐子 研究部長)に蓄積された死後脳組織サンプルが活用されています。本研究成果は、アルツハイマー型認知症の発症を防御する仕組みを理解する上でとても重要な成果であり、新たなアルツハイマー型認知症の予防・治療方法の手がかりとして、今後の認知症診療の進歩に貢献するものと期待されます。本研究は、米国科学アカデミー発行の国際科学学術雑誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of AmericaPNAS, 米国科学アカデミー紀要)」のに日本時間の9月3日に発表される予定です。

研究の背景

 世界中で認知症の患者が増えており(WHOによると2021年に世界の認知症患者は5500万人を突破)、日本でも高齢化が進むにつれて、認知症になる人が増えています(政府推計 2024年 65歳以上の高齢者の5.6人に1人、2025年には約675万人)。認知症の中で最も多いのはアルツハイマー型認知症であり、早期診断方法や予防・治療法を開発することが求められています。そのためには、アルツハイマー型認知症がどのような仕組みで起こるのかを理解することが重要です。アルツハイマー型認知症の脳には、アミロイドβペプチドの蓄積(アミロイド斑や老人斑と呼ばれる)やリン酸化*1したタウタンパク質の蓄積(神経原線維変化と呼ばれる)といった二大病理変化が観察されるのが特徴です。一方、アルツハイマー型認知症の特徴として女性での発症率が高いことも知られています。その原因の一つとして、閉経などによって女性ホルモン(エストロゲン)が減少してしまうことが考えられており、更年期以降の女性にとって大きな健康問題となっています。

 エストロゲンは、エストロゲン受容体へ結合することで働き、さまざまな遺伝子の発現をコントロールします。さらに、エストロゲン受容体と構造が似ているエストロゲン関連受容体(Estrogen-related receptor, ERR)と呼ばれるタンパク質も生体内で重要な機能を担っています。しかしながら、このERRが脳や神経細胞の中でどう働いているのか、特に、どのような遺伝子・タンパク質の量をコントロールすることで脳や神経細胞で役立っているのか、そして、アルツハイマー型認知症の発症にどう関わっているのか、その役割はよく分かっていませんでした。

研究成果の概要

 研究チームでは、脳でたくさん作られている2つのエストロゲン(女性ホルモン)関連受容体(ERRαとERRγ)に着目しました。チームは、クロマチン免疫沈降法と次世代シーケンシングを組み合わせた特別な手法(Chromatin Immunoprecipitation Sequencing, ChIP-seq)*2を用いて、ヒトの神経モデル細胞の中でERRαとERRγが結合するDNAを網羅的に調べました。その結果、これらのタンパク質がアルツハイマー型認知症を含む神経変性疾患の発症に関わる多くの遺伝子の発現量をコントロールするDNAへ結合していることを発見しました(図1)。特に、アルツハイマー型認知症発症を抑えるための仕組みとして、Wntシグナル伝達経路*3の活性を低下させるDickkopf-1DKK1)という遺伝子を特定しました(図2)。活性化したWntシグナル伝達経路はタウタンパク質のリン酸化を抑える機能がありますが、DKK1タンパク質はそれを邪魔してしまいます。それにより、タウタンパク質のリン酸化が増え、神経細胞中でのタウタンパク質の蓄積やアルツハイマー型認知症を引き起こすとされます。チームは、ERRαとERRγはDKK1の発現量をコントロールするDNA領域(プロモーターと呼ばれる*4)へ結合し、神経細胞の中でDKK1が作られるのを防いでいることを明らかにしました(図3)。実際のアルツハイマー型認知症患者の脳サンプルを使用した検証においても、アルツハイマー型認知症患者の脳ではERRαとERRγの作られる量が低下している一方で、DKK1の量が増えていることが明らかにされました。

研究の意義

 本研究により、ERRがアルツハイマー型認知症の発症を予防する働きを持つことが明らかとなりました。これは、なぜアルツハイマー型認知症が発症するのか?また、その仕組みを理解する上でとても重要な成果です。Wntシグナル伝達経路やDKK1はタウタンパク質のリン酸化を防ぐ仕組みとしてアルツハイマー型認知症の治療標的として注目されています。特に、今回解明されたメカニズムが、新たなアルツハイマー型認知症の予防方法および治療方法を開発する手がかりになることが期待されます。さらに、ERRは女性ホルモンの働きとも関連する可能性もあり、女性がアルツハイマー型認知症になりやすい背景にある仕組みを理解するための手助けになり、今後の認知症治療の進歩に貢献するものと思われます。

【掲載誌】

Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS, 米国科学アカデミー紀要) 米国科学アカデミー発行

論文タイトル: ERRα and ERRγ coordinate expression of genes associated with Alzheimer's disease, inhibiting DKK1 to suppress tau phosphorylation(ERRαとERRγはアルツハイマー型認知症関連遺伝子の発現を制御し、DKK1の発現を阻害することでタウのリン酸化を抑制する)

著者: 佐藤薫1, 2、高山賢一1、齊藤祐子3、井上聡1

  1. 東京都健康長寿医療センター研究所 老化機構研究チーム システム加齢医学研究
  2. 東京都健康長寿医療センター 認知症未来社会創造センター(IRIDE)
  3. 東京都健康長寿医療センター 老年病理学研究チーム 神経病理学研究(高齢者ブレインバンク)

【用語解説】

*1リン酸化
タンパク質が受ける翻訳後修飾の一つ。タンパク質はリン酸化されることで、その活性や機能、形が変化する。タウタンパク質はリン酸化されることで、タウタンパク質が凝集し、神経細胞の機能に障害を及ぼす。

*2 ChIP-seq
タンパク質が結合するゲノム全体のDNA結合部位を同定するための次世代シークエンサーを用いる強力な手法

*3 Wntシグナル伝達経路
細胞が取り巻く環境情報などを細胞内に伝える経路の一つ。細胞外のWNTタンパク質が細胞表面の受容体に結合することで、細胞内の多数の分子からなる連鎖的な反応が引き起こされ、細胞の応答を導く。DKK1は、WNTと受容体の結合を阻害する。

*4 プロモーター
ゲノム中の遺伝子の転写が開始される際に機能するDNA領域。遺伝子の転写開始点上流付近に位置する。

図1. エストロゲン(女性ホルモン)関連受容体ERRαとERRγが遺伝子発現量の増減を調節するために結合するDNAに濃縮される経路。
両タンパク質が共通して結合するDNAはアルツハイマー型認知症を含む神経変性疾患に関連したシグナル経路を示す(赤矢印)。

図2. 神経細胞中のDKK1プロモーター付近におけるエストロゲン(女性ホルモン)関連受容体。
ERRαとERRγの結合パターン ERRα(緑波形、ChIP-seq)とERRγ (紫波形、ChIP-seq)はDKK1遺伝子のプロモーター付近へ結合する(赤矢印)。
遺伝子ノックダウン法を用いてERRαやERRγの量を低下させると、アルツハイマー型認知症には悪影響を与えることが想定されるDKK1の発現が上昇する(マゼンタ波形)。

図3. エストロゲン(女性ホルモン)関連受容体
ERRαとERRγによるDKK1遺伝子発現低下とタウタンパク質のリン酸化抑制の仕組み

図4. 脳におけるエストロゲン(女性ホルモン)関連受容体
ERRαとERRγ量の低下とアルツハイマー型認知症の関係

プレス概要

(問い合わせ先)

東京都健康長寿医療センター
 老化機構研究チーム システム加齢医学
 研究部長 井上 聡
電話 03-3964-1141 内線4313/4314
Email: sinoue@tmig.or.jp