2025.6.4
嗅覚機能は高齢期に低下するだけでなく、認知症の初期から障害されることが知られています。嗅覚を伝える神経系には芳香を受容する嗅神経と刺激臭を受容する三叉神経があります。東京都健康長寿医療センター研究所の内田さえ研究副部長らの研究グループは、三叉神経を介する嗅覚情報が嗅覚中枢の嗅球ではなく大脳新皮質の血流を増加させることを動物モデルで明らかにしました。さらに、この反応とアセチルコリンという認知症で減少する神経伝達物質との関連を明らかにしました。嗅覚と脳血流に関する新しい神経機構を解明する基礎研究として神経科学に貢献する成果といえます。同様の研究がヒトでも有効かが期待されます。
本研究成果は、2025年5月6日付で国際学術誌「European Journal of Neuroscience」にオンライン掲載されました。
脳内のアセチルコリン神経(前脳基底部のコリン作動性神経)は高齢期に減少すること、アルツハイマー型認知症では選択的に顕著に減少することが知られています。この神経は認知機能・記憶を司る大脳新皮質・海馬とともに、嗅覚一次中枢の嗅球にも分布しています。私たちは加齢や認知症における嗅覚機能の低下に、コリン作動性神経機能の低下が関与することを予想し、脳血流を指標とした研究を行っています。これまでに私たちは嗅神経の刺激により嗅球血流が増加すること、この血流増加はアセチルコリン受容体の活性化により増強することを明らかにしてきました。この事実からアセチルコリン神経系が嗅球においては嗅覚感度を高める作用をもつと考えられます。嗅覚の神経経路には、花や果実などの芳香を受容する嗅神経に加えて、身の危険を知らせる刺激臭を受容する三叉神経があります。嗅神経は嗅球に入力するのに対して三叉神経は脳幹に入力します。神経経路が異なる嗅神経と三叉神経の嗅覚情報は脳血流への影響が異なることが予想されます。
そこで本研究では刺激臭を受容する三叉神経の刺激が脳血流に及ぼす影響とアセチルコリン神経系との関係を動物モデルで調べました。
本研究では大脳の嗅球と新皮質(前頭葉)の局所血流および血圧を測定し、鼻腔内の三叉神経の刺激に対する反応を観察しました。まず、三叉神経の刺激は嗅球血流を軽度に、前頭葉血流と血圧を顕著に増加させることが示されました。急激な血圧変化は脳血流に二次的影響をおよぼすことが知られています。そこで血圧変動が起こりにくいモデルを用いたところ、三叉神経刺激は嗅球血流には影響を及ぼさずに、前頭葉血流を増加させることが示されました。この前頭葉血流の増加反応はアセチルコリンの伝達を遮断すると消失しました。一方、アセチルコリン様物質で受容体を活性化すると増強しました。これらの結果から、三叉神経を介して伝えられる嗅覚情報は脳内のアセチルコリン神経系を介して前頭葉血流を増加させることが示唆されます。三叉神経で伝えられる嗅覚情報に対してアセチルコリンは促進性に作用すると考えられます(図)。
本研究成果により、刺激臭を受容する三叉神経で伝えられる嗅覚情報は、芳香を受容する嗅神経で伝えられる情報とは異なる脳領域の血流を増やすことが明らかになりました。一方、三叉神経、嗅神経のいずれの嗅覚情報もアセチルコリン神経系により促進性に調節されることが明らかになりました。認知症における嗅覚障害は「におい」の種類で異なることが知られています。このメカニズムに嗅神経と三叉神経の異なる神経機構が関わる可能性が考えられます。今後、嗅神経と三叉神経のいずれの嗅覚経路が加齢の影響を受けやすいのか、そして認知症で障害されやすいのかを調べることで、認知症の兆候を早期にとらえるのに最適な嗅覚検査の開発に役立つことが期待されます。さらに、本研究成果は高齢期の認知機能低下を予防するのに適した嗅覚刺激法の創出への応用が期待されます。
国際科学雑誌「European Journal of Neuroscience」https://doi.org/10.1111/ejn.70135
Cerebral blood flow responses to trigeminal olfactory stimulation and their nicotinic cholinergic regulation in anesthetized rats
(三叉神経系嗅覚刺激による麻酔ラットの脳血流反応とそのニコチン性コリン作動性調節)
Daichi Morihara 1,2、 Jura Moriya 1,2、 Fusako Kagitani 1、 Sae Uchida 1*
森原大智1,2、 守屋樹羅1,2、 鍵谷方子1、 内田さえ1*
1東京都健康長寿医療センター研究所 老化脳神経科学研究チーム・自律神経機能研究
2連携大学院・東京農工大学大学院連合農学研究科博士課程
(*責任著者)
※本研究は連携大学院(東京農工大学大学院連合農学研究科)博士課程学生との共同で行いました。
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