2025.8.6
甲状腺がんの中で2番目に多い「甲状腺濾胞がん」の診断上の問題は、悪性の「濾胞がん」と良性の「濾胞腺腫」が顕微鏡で見ても非常によく似ているため、現在の医療技術では手術前に確実に区別することができないことです。そのため、疑いのある腫瘍はすべて手術で摘出し、詳しい病理検査を行う必要がありました。
今回、東京都健康長寿医療センター研究所 プロテオームの川上恭司郎 研究員、三浦ゆり 研究部長らの研究チームは帝京大学医学部内科学講座、金地病院と共に、血液中に含まれる「細胞外小胞(extracellular vesicles)※1」という微小な粒子に注目し、その粒子に含まれる「RAB21」というタンパク質が、「がん」と「腺腫」を区別する指標(バイオマーカー)になることを発見しました。この技術を使って、採血という簡単な検査で甲状腺濾胞がんの手術前診断ができるようになれば、患者さんの負担軽減や診断精度の大幅な向上に役立つことが期待されます。
本研究成果は2025年7月16日付で国際学術誌「Oncology Letters」に掲載されました。
甲状腺の濾胞性腫瘍の診断は、今日においても未解決の重要な研究課題の一つです。甲状腺がん全体の約10-15%を占める甲状腺濾胞がんは、良性の濾胞腺腫と細胞の形や構造が極めて類似しており、細胞診や画像検査では確実な診断ができません。
診断を確定するには、腫瘍の被膜への浸潤※2や血管への浸潤を組織学的に確認する必要があるため、手術による摘出が不可欠です。しかし、手術を受けた患者さんの中には術後に良性と判明する場合もあり、これは患者さんにとって大きな身体的・精神的負担となるだけではなく、医療費の増大や医療の効率化という観点からも問題となっています。
そこで研究チームは血液中の「細胞外小胞」(エクソソーム)に着目をしました。細胞外小胞は細胞から放出される直径約100ナノメートル(髪の毛の太さの約1000分の1)の微小な粒子で、細胞の情報を運ぶ「メッセンジャー」のような役割を果たしながら血液中を循環しています。小胞中には放出した細胞のタンパク質・核酸・脂質などが含まれているため、血中の細胞外小胞を調べることにより疾患の診断につながるものと期待されています。そこで私たちは、甲状腺濾胞がんから放出される細胞外小胞が、術前診断に役立つのではないかと考えました。
診断マーカーの発見:血液中の細胞外小胞に含まれるタンパク質マーカー
研究チームは、甲状腺濾胞がんと濾胞腺腫の患者さんから採取した血液から細胞外小胞を精製し、質量分析装置(LC-MS/MS)※3で詳しく分析した結果、639種類のタンパク質を検出し、その中からがん患者と腺腫患者で有意に発現量が異なる18種類のタンパク質を特定しました。特に「RAB21」というタンパク質は、がん患者の血液中の細胞外小胞では良性腫瘍患者と比べて多く含まれていることが判明しました(図1, 2)。
RAB21の機能解析:がんの悪性化への直接関与を確認
RAB21は細胞内の物質輸送に関わる重要なタンパク質です。研究チームは、培養した甲状腺濾胞がんの細胞株を用いて、RAB21の機能を詳しく調べました。遺伝子操作技術を使ってRAB21の働きを抑制したところ、がん細胞の移動能力が著しく低下することを確認しました。これは、RAB21ががんの転移や浸潤といった悪性化プロセスに関与していることを示す重要な発見です。
医療現場へのインパクト
この研究成果は、甲状腺がん診療に大きな変化をもたらす可能性があります。血液による術前検査が実用化されれば、本当に手術が必要な患者さんを特定でき、不要な手術を減らすことができます。これにより、診断精度の向上と医療効率の最適化を同時に実現できます。
患者さんへの具体的メリット
この血液検査による診断法が実用化されれば、不要な手術を避けることができ、患者さんの身体的・精神的・経済的な負担を軽減できます。また、外来での簡単な採血検査のため、入院や回復期間が不要で、日常生活への影響を最小限に抑えることができると期待されます。
将来の治療法開発への道筋
RAB21ががん細胞の移動能に重要な役割を果たすことが明らかになったため、この分子を標的とした新しい治療薬の開発が期待できます。特に、転移を抑制する治療法や、がんの進行を遅らせる治療法の開発につながる可能性があります。
継続的な病状モニタリングへの応用
この検査法は採血という体への負担が少ない方法で実施でき、外来で簡単に行うことができます。また、血液検査は繰り返し実施できるため、治療効果の判定や再発の早期発見にも活用できる可能性があります。これにより、より個別化された治療計画の策定や、長期的な経過観察の質の向上が期待されます。
タイトル:Proteomics analysis reveals elevated RAB21 in serum‑derived extracellular vesicles from patients with follicular thyroid carcinoma.
著者:Kyojiro Kawakami, Naoki Edo, Koji Morita, Toshio Ishikawa, Hiroyuki Onose, Tatsuya Fukumori, Hiroki Tsumoto, Keitaro Umezawa, Masafumi Ito, Yuri Miura
雑誌名、号、ページ、年:Oncology Letters, 30, 444, 2025.
DOI:https://doi.org/10.3892/ol.2025.15190
著者:川上 恭司郎1、江戸 直樹2、盛田 幸司2、石川 敏夫2、小野瀬 裕之3、福森 龍也4、津元 裕樹1、梅澤 啓太郎1、伊藤 雅史1、三浦 ゆり1
所属:1. 東京都健康長寿医センター研究所・老化機構研究チーム・プロテオーム、2. 帝京大学・医学部・内科学講座、3. 金地病院内科、4. 金地病院外科
※1 細胞外小胞(extracellular vesicles):細胞から放出される微粒子。その大きさはナノメートルのサイズで、中でも100ナノメートル付近の細胞外小胞はsmall extracellular vesicles と呼ばれ、その代表にエクソソームがある。
※2 浸潤:がんが周りの組織に入り込むこと。
※3 質量分析装置(LC-MS/MS):タンパク質を小さな断片(ペプチド)に分解し、それぞれの分子の質量(重さ)を精密に測定することで、タンパク質の種類と量を特定する分析装置。液体クロマトグラフィー(LC)でペプチドを分離した後、2段階の質量分析(MS/MS)で詳細な解析を行い、数百~数千種類のタンパク質を同時に検出・定量することができる。
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