明治の初め、首都東京の困窮者、病者、孤児、老人、障害者の保護施設として現在の福祉事業の原点ともなる養育院が設立されました。
養育院の創立は、養育院設立時の東京府知事大久保一翁(忠寛)が幕府の目付だったときに立案した、西洋風の・幼院・病院設置プランにさかのぼります。そのときに資金源とされ、養育院の設置資金にも使われたのが、松平定信が定めた江戸の貧民救済資金「七分積金」でした。
明治になり、当時七分積金(営繕会議所共有金)の管理を担当していたのが「日本資本主義の父」渋沢栄一でした。
渋沢栄一は1874(明治7)年より養育院の運営に関与し、1876(明治9)年5月11日に養育院事務長に任命されました。養育院は、1890(明治23)年、東京市営となり、渋沢栄一は養育院長に就任しました。以来91歳で亡くなるまで約50年間院長を続け、養育院廃止論の逆風を受けながら養育院を存続させ、分院・専門施設を開設して事業を拡大しました。
松平定信・大久保一翁・渋沢栄一と受け継がれてきた江戸・東京の福祉事業の歴史は戦後もつづき、現代の東京都健康長寿医療センターの設立につながっています。
高度医療 | 医療福祉 | |
初 期 -創立以前- |
・江戸時代に幕府が江戸に設置した無料の医療施設「小石川養生所」が1722年に設けられる。 | ・寛政の改革(1787~1793)に不時の災害時の江戸市民の救済のために七分積立を行い運用し、維新後、明治政府・東京府に引き継がれた。 |
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江戸時代~明治維新 | ・東京医学校(現:東大医学部)との連携 | ・明治5年に創立されて以来129年に及ぶ事業の歴史を持ち、日本の社会福祉事業の中で、先駆的・先導的役割を担う養育院の創立 |
開拓期 -福祉事業の確立- 明治~戦前 |
・精神病、ハンセン氏病、結核などの対策、 研究 | ・初代院長渋沢栄一の尽力による施設運営の地盤固め |
変革期 -高齢者福祉への転換- 戦後~平成21年 |
・昭和47年 |
・昭和47年 東京都養育院附属病院設立・昭和61年東京都老人医療センターに改名・最新の医療設備(CT、MR、PET) ・高齢者リハビリテーションの展開 |
新生期 -医療と研究の融合- 平成21年~平成25年 |
都の組織改訂により、地方独立行政法人・ 東京都健康長寿医療センターとなる。 |
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新時代へ -新病院開院- 平成25年~ |
東京都健康長寿医療センターは、病院と研究所が一体となって、 高齢者の健康増進と疾病治療、予防を推進してまいります。 |
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