楽しい食事を支えるために -8020達成だけで大丈夫?-

自立促進と介護予防研究チーム 平野浩彦

8020運動とは

みなさまも良くご存じのように、食べる機能を支えるためには健康な歯を維持することは最も重要です。また、1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という「8020(ハチマルニイマル)運動」はご存知の方も多いと思います。20本以上の歯があれば、食生活にほぼ満足することができるとの調査結果から、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めてこの運動が始まりました。この運動が始まった当初、8020達成者の割合は1割にも満たなかったのですが、2011年には4割近くとなり(図1)、近い将来5割の達成率になることが予想されています。この変遷は、これまで食べる機能の維持を"歯の数"の維持を中心に考えてきた時代から、別の視点が求められる時代になったとも言えます。

図1

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食べる機能を支える器官(図2)

食物を口に入れ、噛んで、そして飲み込んでいきますが、この過程に要する時間は数十秒(食物によって多少異なります)です。この短い時間で、口に入れた食物の噛みごたえ、味、さらに、"のどごし"などを感じ、味を楽しむことになります。すなわちこの短い時間で、様々な器官が複雑にダイナミックに働くことになります。複雑な動きが必要な理由は、図2に示す器官が、食べる機能のみに関係するのではなく、「話す」「呼吸する」など様々な機能に関係していて、一つの器官が何役もこなす必要があるからです。今回は、特に食べる機能を中心に話を進めます。

図2

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食べる機能は呼吸とのバランスが重要(図3)

食べ物を口に入れてから飲み込むまでのプロセスには、口腔(こうくう)から食道までの間にある様々な器官を、3つの「部屋」、3つの「ドア」、2つの「窓」という概念で整理すると理解が深まります(藤島一郎:口から食べる嚥下障害Q&Aより)。口腔、咽頭(いんとう)、食道という3つの「部屋」を食物や飲料は通過します。このそれぞれ部屋を仕切る3つの「ドア」があり、それが口唇、口峡(こうきょう、軟口蓋)、食道入口部です。「窓」とは、口峡(軟口蓋)、喉頭蓋(こうとうがい)です。これらの窓は、鼻腔、気道(喉頭)の空気専用の通り道への食物などの侵入を防ぐために、食物が通る時に閉じられることになります。つまり、口腔と咽頭は、食物と空気の通る共有したルートとして使われています。このことが、食べる・飲み込む機能(摂食・嚥下機能)のメカニズムを複雑にしています。

図3

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食べる機能のチェックをしてみましょう(図4)

一つ目のドアである唇を開くと、一つ目の部屋である口腔を覗くことができます。口腔の中には、歯、舌、頬(粘膜)など様々な器官があります。それぞれが、食べる機能には無くてはならないものです。まずはしっかり噛める歯が無くてはなりません。特に奥歯(臼歯部)をしっかりかみ合わせることが出来るかどうかが重要となります。最近の食卓に並ぶ食事の多くは柔らかい食品が多くなってきました。前歯で噛むだけで直ぐに飲みこめてしまう食品も少なくありません。これは決して悪いことではないのですが、食べる機能の低下の自覚を遅らせる危険性があります。そこで、食べる機能の重要な機能である咀嚼機能の簡単なチェックをしてみましょう。ここでは、咀嚼機能を支える筋肉がいくつかありますが、その中で側頭筋と咬筋に注目します(図4)。両手の人差し指と中指で眉毛の2センチほど外側を触ると側頭筋の動きをチェックできます。また、同時に両手の親指で耳の下方2センチほどを触ると咬筋の動きをチェックすることができます。奥歯でしっかりかみ合わせて側頭筋、咬筋の動きを調べますと、特に側頭筋の動きが弱い方がいるかもしれません。これは、臼歯部のかみ合わせが悪い場合がほとんどです。特に義歯の方では、義歯の人工の歯が磨り減ってしまい噛みあわせがあまくなってしまっているケースもありますので、心配な方は歯科医院でチェックをしてもらって下さい。

図4

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舌の動きに注目

次に「舌」に注目してみましょう。舌は多くの機能を持っています。その機能として、「話す」「食べる」「味わう」などがあります。その他の機能で注目していただきたい機能は、飲み込む機能(嚥下機能)として重要な働きをしている点です。この機能は簡単に体感することができます。唾(つば)を飲んでいただくと、飲み込む際に舌の先が上の前歯の裏にしっかりと押し当てられることが分かります。これは、舌が気管と食道の交通整理をする蓋(喉頭蓋)を閉鎖するために重要な支点となっているからです。したがって、年齢とともに舌の動きが悪くなることにより、嚥下機能も低下する可能性が高まってきます。図2に示しましたように、咽頭は、食物の通り道と、空気の通り道が交差する交差点に例えることができます。つまり、ここの交通整理がうまくいかなくなると事故が起きることになります。ここで注意しなくてはいけない事故は、食物や飲み物が気管に入ってしまう誤嚥(ごえん)です。誤嚥を防ぐために、食物と空気を交通整理している器官が喉頭蓋(こうとうがい)と呼ばれる蓋(ふた)です。喉頭蓋は、呼吸をしている時には開いていますが、食物が通過するときには喉頭(気管)を塞ぐように動きます。この動きを助けるために、舌は重要な役割をしています。唾を貯めて飲み込んでみるとその役割を体感することができます。唾を飲むためにはまず、唇が閉じ、奥歯がしっかりと噛み合わさります。次に舌の先が上あご(口蓋:こうがい)に押しつけられ、下あごの下方が緊張し、喉頭隆起(のど仏)が持ち上がり、「ごくん」と飲み込まれます。喉頭隆起の後ろには喉頭蓋があり、これらは一体として動きます。つまり、喉頭隆起が持ち上がることにより「てこ」の原理で喉頭蓋が下がり、喉頭を塞ぎます。これらの動きは、舌が上あごにしっかり押しつけられることにより、そこを支えにして舌が喉頭隆起を引っ張り上げています。例えるならば、舌は飲み込む力を発揮するための「力こぶ」となっているわけです。 このように、舌は「のどごし」を楽しむためにも重要な役割をはたしています。舌の動きが悪くなると、喉頭隆起を引っ張り上げるタイミングがずれてしまい、むせて(誤嚥)しまうことが多くなります。

食事中の大事故「窒息」

誤って、食物や飲み物が気管に入ることを誤嚥(ごえん)と言います。誤嚥した時、気管からそれらのものを除く反射として咳反射が起こり、これが一般に「むせる」と呼ばれるものです。しかし、不幸にも気管を塞いでしまう大きさの食物を誤嚥してしまうと、呼吸ができなくなり、この状態を窒息と言います。75歳以上の不慮の事故を集計したデータでは、交通事故で亡くなった方の約2倍もの方々が窒息で命を落されています。また、窒息の原因となった食品は、もち、米飯、パンといった、日常よく口にする食品です(図5)。ここで皆さんにお伝えしたいことは、窒息は稀な事故ではなく、その原因は身近な食品で引き起こされるということです。窒息を予防するために、日本歯科医師会がそのポイントを提示しています(図6)。こういった点に注意を払いながら食事をすることを心がけて下さい。

図5

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図6

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最後に

味を楽しむためには、食べる機能を維持することが大切です。まずは、しっかり噛める口の環境を整え、舌などの口腔機能をチェックし、普段口にする食品の特徴の理解を深め毎日の食事を楽しんでください。一連のご相談は、地域の歯科医院、または地域で行われている介護予防事業窓口(行政など)になさってみて下さい。

今回のお話が、皆さんの安心安全な食生活を送るための一助になれば幸いです。