認知症研究に役立つPET用薬剤開発

神経画像研究チーム 多胡哲郎

2022.11.14

神経変性疾患について

 日本のような高齢化社会において、加齢に伴い発症リスクの増加する認知症患者数の増加は大きな社会的・医療的課題であると言えます。2015年に報告された疫学研究によれば、日本の認知症患者数は2025年に約650~700万人、2040年に約800~950万人、2060年に約850~1150万人に達すると予測されています[1]。認知症は理解や判断、論理などの知的機能が低下し、日常的な活動に支障が生じる状態を示しますが、その原因となる疾患は主にアルツハイマー病を代表とした、神経系の細胞が減少する神経変性疾患です。アルツハイマー病では脳内に"アミロイド-β"や"タウ"といった名前のタンパク質の凝集体が異常に蓄積し始め、神経細胞の数が徐々に減少していくことが知られています[2]。従って各製薬企業が開発中のアルツハイマー病の治療薬の候補はこれらのタンパク質病変を標的としたものが多いですが、その治療薬が本当に機能しているかどうか、すなわちタンパク質の異常蓄積を防いでいるかを、"生きているヒトの脳内"で評価する技術が、治療薬の開発において重要となります。

PETについて

 生体内における現象を検出・画像化できる技術として、陽電子断層撮像法(Positron Emission Tomography: PET)があります。PETは放射能を有する薬剤を生体内に投与し、その薬剤から生じる放射線を体外で検出することで、薬剤の集積部位を知ることが出来ます。使用するPET用薬剤の機能によって得られる情報が異なるのが特徴で、例えばがんに集積する薬剤ならば体内のがんの検出に役立ちます。PET用薬剤の開発や製造についての詳細は過去の研究トピックス(https://www.tmghig.jp/research/topics/201801-538/)においても取り上げています。PET用薬剤の放射能は減衰する半減期が短い、言い換えれば使用期限が短く、PETの撮像を行う当日に製造された薬剤が、ヒトに投与される場合が多くあります。PET用薬剤の入手先は、近隣の製薬会社の工場で製造されたものをその日のうちに配達してもらうこともあれば、PET撮像を行う病院が薬剤の製造施設を持ち、現地で製造することもあります。東京都健康長寿医療センターはPET用薬剤の製造施設を有する病院であり、神経画像研究チームが中心となって薬剤の製造を担当しております。ヒトの静脈内に投与するような薬剤には高いレベルでの日常的な製造環境・設備の管理が必須であり、高品質な薬剤を安定的に供給できるよう、薬剤製造に関わる全員が日々研鑽を積んでいます。

認知症研究におけるPETの役割

 ヒトの脳や認知症の研究において、神経活動を司る脳内の受容体や輸送体、酵素など、様々な分子・現象をターゲットとしたPET用薬剤がこれまでに開発され、各ターゲットの機能や役割に関する理解を深めるのに役立ってきました。特にアルツハイマー病に関連したPET用薬剤としては、上述のタンパク質の病変の脳内蓄積を検出するための薬剤が注目を集めています[3](図1左, 右)。アミロイド-β病変に結合するPET用薬剤の開発は2000年前後から報告され始め、現在では複数の薬剤が米国食品医薬品局から医薬品として認可を受けており、成熟した技術として認識されています。一方でタウ病変に結合するPET用薬剤の開発はアミロイド-βの薬剤から10年ほど遅れていましたが、アカデミアや企業による精力的な開発競争の結果、2020年に一つの薬剤が米国食品医薬品局か認可されたのに加え、より性能の高いタウ用薬剤の開発・評価も続いています。

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図1左:アミロイド-β/タウ病変に対する代表的なPET用薬剤の化学構造。図中の18FはPET用放射性同位元素のフッ素18を示している。
図1右:脳のPET画像のイメージ。PET撮像により病変の有無が視覚的に分かりやすく検出できる。

 アミロイド-βやタウをターゲットとしたPET用薬剤はアルツハイマー病の研究や治療薬開発において有効活用されています(図2)。認知症の原因疾患となる神経変性疾患にはアルツハイマー病以外の病気もあり、認知症を発症した人がアルツハイマー病であるか否かの確定診断を下すには、その人が亡くなった後の脳を解剖して調べ、アミロイド-βとタウの病変の有無を確認する必要があります。その点PETにより各病変を検出できれば、認知症を発症した方の原因疾患がアルツハイマー病であるかどうかを、その人が亡くなる前に高い確率で推測できます。また例えばアミロイド-β病変を標的とした治療薬の治験においては、被験者を集める際にPETにより病変の有無を確認することで、治療薬の被験者として適切であるかどうかを調べることが出来ます。もちろん治療薬を使用する前後においてPET検査を行えば、病変の増減を知ることが出来、治療薬が目的とする効果を発揮したかどうかが分かります。

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図2:アルツハイマー病変のPETイメージングに期待される役割

 認知症を引き起こす神経変性疾患にはアルツハイマー病以外にもレビー小体型認知症など複数あるため、診断や治療には脳内における異変を正確に把握することが非常に重要であり、故にPETの様な生体イメージング技術の発展が必要不可欠です。レビー小体型認知症やパーキンソン病はアルツハイマー病と異なり、"α-シヌクレイン"というタンパク質の凝集体からなるレビー小体が、脳内に蓄積する特徴的な病変として認識されています。このα-シヌクレイン病変に対するPET用薬剤の開発も現在盛んに行われており、それらが近い将来にはレビー小体型認知症やパーキンソン病の研究や診断に活用されると期待しています[4]。

当研究チームでの研究

 我々神経画像研究チームでは、高齢者特有の疾患、特に脳に関係する疾患について、PETを駆使した病態の解明や診断法の開発に関する研究を行っています。これまでに国内外の研究機関などとの共同研究を通じ、複数の世界初の例も含めた新しいPET用薬剤の臨床研究を実施してきました(https://www.tmghig.jp/research/team/shinkeigazou/petyakuzaikagaku/)。また製薬企業が開発したアルツハイマー病の治療薬の治験に参画し、アミロイド-βやタウのPET用薬剤の製造やPET撮像により、治療薬の効果判定に協力しています。PETによるアミロイド-βやタウの病変の検出技術は非常に精度の高いものとして認識されていますが、現時点ではまだ保険収載はされていません。今後アルツハイマー病の根本的治療法が開発され、PETによりアルツハイマー病の進行具合や治療の効果をモニタリングすることが、患者様にとって有益であるとはっきり示されれば、よりアルツハイマー病におけるPETが身近なものになると考えられます。
 当研究チームでは独自の新しいPET用薬剤の開発も実施しています。最近の例としては、脳の血流を測定するためのPET用薬剤の開発を行いました[5]。アルツハイマー病における脳の機能の低下と脳血流の低下は深く関与しており、本PET用薬剤による脳血流の測定はアルツハイマー病の診断に寄与すると期待しています。またヒストン脱アセチル化酵素6という、神経変性疾患の治療標的として注目されている酵素のPET用薬剤の開発も行いました[6]。多様な神経変性疾患において、このヒストン脱アセチル化酵素6がどのように影響しているのかは不明な点が多いのですが、この酵素の疾患における役割に関する詳細を明らかにし、新たな治療戦略の開発を展開するためにも、PETによるイメージング技術の確立が鍵になると考えています。我々の研究チームは小さなチームですが、基礎研究と臨床研究のそれぞれを専門とするメンバーが密に連携し、協力し合っているのが特長であり、引き続きアンメットメディカルニーズを満たすような、我々にしかできない研究を行いたいと思います。

【参考文献】

[1] 厚生労働科学特別研究事業「日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究」平成26年度 総括・分担研究報告書
[2] Cold Spring Harb Perspect Med. 2011;1:a006189
[3] Radiology. 2021;298(3):517
[4] Pharmaceuticals (Basel). 2021;14(9):847
[5] EJNMMI Res. 2020;10(1):115
[6] ACS Chem Neurosci. 2021;12(4):746