歩行は、なぜ認知症予防につながるのか?

老化脳神経科学研究チーム 自律神経機能研究 堀田晴美

歩行と脳の高次機能

高齢者では、「寝たきりになると認知症になりやすい」といいます。その逆に、「よく歩くと認知症になりにくい」ことが最近の研究によってわかってきました。たとえば、70~80歳の女性の認知機能テストの成績と日頃の運動習慣の関係を調べた研究によると、日頃よく歩く人はテストの成績が良く、少なくとも1週間に90分(1日あたりにすると15分程度)歩く人は、週に40分未満の人より認知機能が良いことがわかっています(図1)。しかし、なぜ歩行が脳の高次機能に影響を与えるのでしょうか。この謎に挑むため、私たちは脳の働きに欠かせない脳の血流に注目して研究しています。

図1

脳の働きに欠かせない血流とアセチルコリン

脳が正しくはたらくためには、絶えず十分な血液が流れている必要があります。脳の働きを担う神経細胞は、血流不足にとても弱く、再生能力もありません。高齢者やアルツハイマー型認知症患者では、大脳皮質や海馬(記憶などの高次機能を司る部位)で脳血流の低下がみられます。この大脳皮質や海馬には、大脳の奥から伸びてきてアセチルコリンという化学物質を放出する神経(アセチルコリン神経)が来ています。

私たちは、ラットを用いた研究により、アセチルコリン神経を活発にすることによって、大脳皮質や海馬のアセチルコリンが増え、脳の内部の血管が広がり、血液の流れが良くなること1-6を発見しました(図2)。また、私たちは、アセチルコリンが、脳を守る重要なタンパク質(神経成長因子)を増やすこと7-8を明らかにしました。さらに、アセチルコリン神経の働きを高めることにより、神経細胞のダメージを軽減すること9も確認しています(図3)。つまり、アセチルコリン神経は、脳の健康を維持するうえでとても大切です。

図2

図3

無理せずゆっくり歩く

私たちは、歩行が脳のアセチルコリン神経を活性化して海馬や大脳皮質の血流を増やすのではないかと考え、それを証明する実験を行いました。その方法は、ラットをトレッドミル(ランニングマシン)の上を歩かせて、その際の海馬の血流と血圧を同時に測定するものです。歩く速さを、「遅い」「普通」「速い」の3段階に分けて、それぞれ30秒間歩かせてみます。すると、いずれの速さで歩いても、歩行中の海馬血流が増加しました(図4)。海馬の血流は、歩行開始直後から増えはじめ、歩行をやめると徐々に元に戻ります。血圧は、「速く」歩いたときには著しく上がりますが、「遅い」または「普通」の速さではほんの少し上がるだけです。「普通」の速さで歩いた時に海馬のアセチルコリン量を調べると、増えることがわかりました10。つまり、血圧があまり上がらない程度の無理のない歩行を行うと、海馬のアセチルコリンが増え、海馬の血流が良くなるのです。 興味深いことに、老齢のラットでも、若いラットと同様の結果が得られました11。無理せずゆっくり歩くことは、年齢に関係なく脳の血流を増加させるのです。

図4

皮膚をさすったり関節を動かしたり

歩くという運動ができない場合でも、皮膚や筋、関節に刺激をあたえることで、同様の効果が得られることがわかりました12-16。麻酔をかけたラットの皮膚を刺激すると、アセチルコリンを作る神経細胞の活動が高まり、大脳皮質でアセチルコリンが放出され、血流が増加します。からだのどの部位の刺激でも血流増加の効果がみられますが、特に手や足への刺激は効果的です1。皮膚をゆっくりとブラシで擦るような軽い刺激でも、15分続けると血流がとても増えてきます(図5)。より人に近い複雑な大脳皮質をもったネコでも、脚の関節を曲げたり伸ばしたり、脚の皮膚をさすったりすると、大脳皮質への血流が増えます。

図5

薬に頼る前にできること

アルツハイマー型認知症の人では、アセチルコリンを作る神経細胞が少なくなっています。そのため、抗認知症薬の多くは、わずかに残ったアセチルコリンの分解を防いで、アセチルコリンを増やす働きをしています。しかし、年相応の物忘れがある程度では、この神経がまだたくさん残っていますので、身体への刺激によってアセチルコリンを増やすことが可能となります。つまり歩いたり皮膚を刺激したりすることで、抗認知症薬と同じ効果が期待できます(図6)。アセチルコリンを作る神経が病気で少なくなる前なら、薬に頼らず無理のない日常的な身体への刺激で、認知症を予防できる可能性があります。

図6

参考文献

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