膵がんの基礎研究

老年病理学研究チーム 石渡 俊行

1981年から40年近く、がんは日本人の死因の第一位を占めています。がんは小児がん、AYA (Adolescent and Young Adult: 思春期・若年成人)世代のがんと成人がんの3つに分けられます。成人がんは最も多く、高齢になるとがんに罹る人もがんで亡くなる人も増えてきます。これは加齢とともに遺伝子の異常が積み重なり、がん細胞ができるためと考えられています。現在は医学研究や医療の進歩により、がんと診断された人の約60%は完治できるようになっています。

一方で、膵臓に発生する膵がん(すいがん、膵癌、膵臓癌)に罹ると約10%しか完治することができません。膵がんも加齢とともに増加することから、予防、早期診断、治療に関する研究の重要性が近年、特に高まっています。

なぜ膵がんは難治性なのか?

私が25年ほど前に米国留学を機に膵がんの研究を始めた時には、膵がんの5 年生存率は約3%でした。抗がん剤の登場により生存率は数パーセント上昇しましたが、未だ十分とは言えない状況です。他のがんと比べ、なぜ膵がんはこれほどまでに難治性なのでしょうか。それには主に4つの原因が考えられます。

一つは膵がんを早期に発見するのが難しいことです。膵がんが発生する膵臓は胃の後ろ側にある横長の、栄養ドリンクのビン位の小さな臓器です。膵臓の形を検査するのは難しく、腹部超音波検査でも膵臓の全体を観察するのは困難です。また、膵がんの早期診断に有用な血液検査もありません。

二つ目には膵がんは周囲の正常組織への浸潤や、離れた臓器への転移が起こりやすいことがあげられます。膵臓にあるがん(原発巣)は数センチの小さな塊であっても、周囲の血管やリンパ管にがんが浸潤し、これらの管の中を通って、肝臓や肺などへ運ばれ、新たながんの塊を作りその臓器本来の働きができなくなってしまう(がん転移)ことが多いのです。

三つ目には、膵がんに有効な抗がん剤が少ないことです。膵がんでは他の臓器のがんに有効な抗がん剤がほとんど効かず、膵がんに有効とされる抗がん剤も、膵がんを完治させることはできません。

四つ目が、近年特に注目されている膵がんの多様性という点です。これまでの研究から膵がんには発がんに関連する4つの重要な遺伝子変異が知られていますが、実際には、4つの遺伝子の一部にしか変異のない膵がん細胞も多くあります。膵がんの遺伝子変異はさまざまであり、がんになる過程もそれぞれの患者さんで異なっている可能性があります。さらに、膵がんは腺がんという胃や大腸がんと同じ種類のがんと考えられていますが、膵がん細胞を詳細に調べてみると線維や血管、骨などのがん(肉腫)と似た性質を持つ細胞もあることもわかってきました。それぞれの患者さんの膵がんの性質が異なっていたり、同じ患者さんの膵がんの中にさまざまな性質のがん細胞が混在していたりすれば、抗がん剤の効果も異なり、一部のがん細胞が治療後に生き残って再発してしまう可能性があります。また、これらの多様性のある膵がん細胞のなかで特に転移に適したがん細胞だけが、転移するのではないかと考えられています(図1)。

図1 膵がん細胞の多様性と再発、転移の関係.JPG

膵がんの早期発見に向けた研究

膵がんを早期に発見できれば、手術によってがんを完全に取り除いて完治させることができます。近年では、一部の膵がんには体への負担が少ない腹腔鏡手術もできるようになっています。しかし実際には膵がん患者さんの約80%が手術を受けられない進行した状態で発見されています。このため、早期の膵がんを健康診断などの血液検査で診断することができれば、多くの膵がん患者さんを救うことができます。膵がん患者さんの血液中にはCA19-9やCEAという糖鎖 (糖が鎖状につながったもので、細胞表面にある)や糖タンパク質(タンパク質のアミノ酸に糖鎖が結合したもの)が増えていることが多く、腫瘍マーカーと呼ばれています。残念ながら、これらの腫瘍マーカーは早期の膵がん患者さんの血液中では増加しておらず、主に手術後の再発の有無や抗がん剤の効果判定に利用されています。

近年は膵がんの腫瘍マーカーとしてタンパク質に翻訳されない非コードRNA(リボ核酸、通常はDNAの情報をもとにタンパク質を作る)が注目され研究が進んでいます。私達は非コードRNAの中でも特に長さが短いRNAであるmiRNA(マイクロRNA)のmiR-4710が膵がん患者さんの血液中で増加していることを見出し、このmiRNAが膵がんの早期診断に有効ではないかと考え、研究を進めています。

また、私達の研究グループは以前よりヒトのさまざまな臓器のテロメア長を測定しています。テロメアは染色体末端にある反復するDNA配列で命の回数券とも呼ばれ、細胞が分裂するたびに長さが短くなります。これまでの研究から膵がんの前がん病変の細胞(がんになる前の異常な形の細胞)では、テロメアの長さが周囲の正常細胞よりも短くなっていることがわかりました。現在、私達は血液中の白血球からDNA(デオキシリボ核酸、細胞の核内に存在し生命の設計図とも呼ばれる)を抽出し、血液細胞のテロメア長を測定する準備を進めています。健康診断などで定期的、継続的に白血球のテロメア長を測定し、異常なテロメア長の短縮を検知することで膵がんの早期発見に繋がるのではないかと考えています。

膵がんの浸潤転移の抑制のための研究

膵臓にできるがんの塊が小さくても、膵がんはがん周囲組織への浸潤や転移がおこり手術で全てのがん細胞を取り除くことができなくなってしまいます。このため私達は浸潤や転移を抑える新たな膵がんの治療法の開発に向けた研究をしています。私達は、膵がん細胞がネスチン(nestin)という神経幹細胞(自分と同じ細胞を作ったり、他の神経系の細胞を作ることのできる幹細胞)に発現するタンパク質を作っていることを発見しました。このネスチンは細胞の骨格タンパク質の一つで、膵がん細胞の遊走や浸潤に関与しており、ヒトの膵がん組織でネスチンを産生している膵がん細胞が多いほどがんが浸潤していることがわかりました。そこで、ネスチンの産生を減らした膵がん細胞を作成し、マウスに移植すると転移を抑制することができました(参考文献1)。

また最近の研究でH19という、タンパク質に翻訳されない長いRNA(長鎖非コードRNA)が、肺に転移した膵がん細胞で膵臓に発生した原発巣のがん細胞に比べ約80倍も増加しており、転移に重要な役割を果たしていると考えられました。このため、H19を減少させたヒト膵がん細胞をマウスに移植すると、肝転移と肺転移を著明に抑制することができました(図2)。
図2 長鎖非コードRNA, H19の抑制による膵がんの転移減少.JPG
ヒト組織での検討で、H19が約20%の膵がん患者さんのがん細胞にみられたことから、H19が転移に重要な役割を果たしており、H19の抑制が新たな膵がん治療法となる可能性があることが明らかとなりました。今後、H19に対する核酸医薬(DNAやRNAなどの核酸を医薬品として用いるもの)などの開発が進めば、新たな膵がんの転移抑制治療法となる可能性が高く、英文論文として報告するとともにプレス発表(https://www.tmghig.jp/research/release/2018/1015.html)を行ないました(参考文献2,3)。

膵がんの多様性の解明と新規治療法開発

膵がん細胞を超低接着プレートという細胞が底に接着できないプレートで培養すると、培地中にスフェアと呼ばれる浮遊したがん細胞の塊が形成されます。このスフェアには、がん幹細胞(がんかんさいぼう)と呼ばれる自分と同じ細胞を作ること(自己複製能)と、さまざまな種類のがん細胞を作ること(多分化能)ができる細胞が多く含まれていると考えられています。しかし、スフェアに含まれるがん幹細胞の形態と比率は、わかっていませんでした。そこで、PANC-1というヒト膵がん細胞株(ヒト膵がん組織から採取されたがん細胞で、長期に培養しても死滅することなく分裂増殖を繰り返す細胞)で、スフェアを作成して、電子顕微鏡で観察しました。PANC-1細胞のスフェアはがん細胞がぶどうの房状に繋がっており、がん細胞の表面は平滑なものや、不規則な大きな突起のあるもの、多数の微絨毛で覆われているものなどが認められました。これらから、スフェアには細胞表面が平滑で未分化ながん幹細胞と考えられる細胞や、より分化し表面に突起や微絨毛を持つがん細胞が混在していると考えられました。がん幹細胞の分離同定は困難で、膵がんのがん幹細胞と考えられる細胞の撮影に初めて成功しました。今後、このような方法で分離したがん幹細胞の特徴を解析することが、がん幹細胞を標的とした治療法の開発に繋がり、膵がんの予後の向上に寄与するものと思っています(図3)(参考文献4)。
図3 スフェアを形成する多様な膵がん細胞.JPG
最近の研究で、膵がん患者さんから樹立された膵がん細胞には上皮様の性質を示すがん細胞と、間葉系(骨、筋肉、脂肪、血管など)の性質を示すがん細胞の2種類が存在することがわかりました。上皮様の膵がん細胞は低接着プレートで培養すると、球形のスフェアを形成し表面を覆う扁平ながん細胞が認められました。上皮様の膵がん細胞には分泌顆粒(膵臓で作られる消化酵素)や微絨毛が多く、正常の膵臓細胞への分化がみられました。増殖細胞のマーカーのKi-67はスフェア周囲を被覆する扁平ながん細胞にのみ認められ、一部の場所の細胞のみが増殖する増殖極性が確認されました。一方で、間葉系の性質を示す膵がん細胞は不整形のスフェアを形成し、分化成熟傾向は乏しく増殖極性も認められませんでした(参考文献5)。上皮系と間葉系の性質を示す膵がん細胞は、異なった分化や増殖動態を示していることがわかりました(図4)。
図4 上皮様と間葉系の膵がん細胞のスフェア.JPG

現在、多様ながん細胞からなる膵がんを同じ性質のがん細胞に均一化すること(同期)が可能かについて研究を行なっています。同期することにより、抗がん剤の有効性も増し、浸潤転移を抑制できるのではないかと考えています。

膵がんは、早期診断や有効な治療法に結びつくような研究成果が得られないまま、長い年月が過ぎています。この状況を打開するためには、今までの研究の常識を疑うことや、新たな視点からの研究を進めることが必須です。さまざまな分野の研究者が協力しあうことが重要であり、私達も研究所の内外の各分野の専門家と膵がんの完治を目指し研究を続けて参ります。

参考文献

  1. Ishiwata T. Pathol Int. 66巻:601-608頁、2016年.
  2. Sasaki N他. Oncotarget. 9巻:34719-34734頁、2018年.
  3. Yoshimura H他. Lab Invest. 98巻:814-824頁、2018年.
  4. Ishiwata T他. Oncol Lett. 15巻:2485-2490頁、2018年.
  5. Shichi Y他. Sci Rep.26巻:10871、2019年.