2025.12.2
心臓は生涯にわたり活動し続ける働き者の臓器です。しかし、加齢とともにその機能は徐々に衰えていきます。一方で、生涯働き続ける臓器だからこそ、実際にどのように衰え、どのような時に疾患という状況に陥るのか理解することが非常に難しい臓器でもあります。心臓の加齢変化をきちんと捉え、機能低下と疾患発症を正確に理解することが、健康で元気に過ごすためには必要だと考えられます。
心臓には4つの部屋があり(右心房、右心室、左心房、左心室)それぞれに重要な血管(大動脈、大静脈、肺動脈、肺静脈)がつながっています。また、それぞれの血管と各部屋の間には弁(三尖弁、肺動脈弁、僧帽弁、大動脈弁)があり血液が逆流しないようになっています。心室が収縮したり拡張したりすることで、全身へときれいな血液を送りこみます(図1)。一般的に、心臓が正常かどうかを判断する際は、この時の心臓の大きさや心臓壁の厚さ、血液を送り出す量(1分間の心拍数×1回に排出する血液量)などで診断されます。この血液を全身に送るポンプとしての機能が最も大きな役割と言えます。
図 1 心臓は拡張や収縮により全身へ血液を送るポンプの役割をする(左)。実験で使用した心臓の領域(右)。
私たちの身近に糖鎖という分子が存在します。糖鎖とは、DNA、タンパク質に続く第3の生命鎖と呼ばれるほど生体内では重要な役目をしています(図2)。主にタンパク質や脂質と結合して存在していることが多く、特に細胞表層ではその細胞の機能に大きく影響します。例えば、ABO式血液型の決定やインフルエンザウィルス感染の目印などがよく知られています。このように、分子認識やタンパク質の構造維持、情報伝達など様々に働く糖鎖ですが、現在は細胞の種類ごとに異なる糖鎖の組み合わせが存在し、細胞の種類や状態を見分けることが可能であるとわかっています(文献1)。そこで、私たちは老化にともない変化すると考えられる細胞の状態もこの糖鎖を調べることでわかるのではないかと考え、糖鎖に着目した老化研究に取り組んでいます。
図 2 体の中で機能的に重要な役割を果たす糖鎖。生体の3大生命鎖(上)。
心臓を構成する細胞例と糖鎖によるタンパク質の修飾図(下)。
糖鎖に結合するタンパク質にレクチンと呼ばれるタンパク質群があります。レクチンは糖鎖に対して異なる結合特異性を有しており、レクチンを複数組み合わせることで網羅的に糖鎖の構造を把握することができます。この糖鎖とレクチンの相互作用を検出する技術にレクチンマイクロアレイ法というものがあります(図3、文献2、3)。この技術を用いた解析により、老化に伴い徐々に細胞が変化することが明らかとなりました(文献4)。
図 3 レクチンマイクロアレイ法による糖鎖解析の流れ。細胞や組織から抽出したタンパク質を蛍光標識し、
レクチンとの相互作用から糖鎖構造を網羅的に調べる。
すでに、レクチンマイクロアレイ法を用いた網羅的な糖鎖解析研究により、培養条件下におけるヒトの心臓を構成する細胞では細胞の老化に伴うわずかな糖鎖変化が確認できています(文献5)。では、加齢において心臓の組織ではどのような変化がみられるのでしょうか。その疑問を調べるために、マウスの心臓から複数箇所(左室壁、乳頭筋、心室中隔など)のタンパク質を回収し(図1右)、組織中(様々な細胞が集合した実際の生体環境を反映している)の糖鎖状態を調べました(文献6)。その結果、心臓の中では、内部に近い場所と外側に近い場所で糖鎖の種類がわずかに異なることがわかりました(図4)。また、若い時に鮮明だった細胞膜上の糖鎖は老齢になると歪んだり途切れたり幅が広くなるなど細胞膜の変化が見られました(図5)。これは糖鎖による細胞間の接着に影響を及ぼす可能性を示唆しています。そして、シアル酸やαガラクトースと呼ばれる糖鎖の一部が老化で減少することがわかりました。この解析では、血管や心室の組織において心臓の領域に応じて糖鎖の減少する速度が異なることが見えてきました。
心臓では、臨床的に組織の変化が生じやすい領域が存在します。左室壁(左心室壁)では硬化(硬くなる状態)、肥厚(厚くなる状態)、菲薄(薄くなる状態)などがその例です。これらの要因は一つではありませんが、1つの心臓の中で組織の変化に生じ易さや時差があるということは、その機能が働く臓器の構造がいびつな状態になるということです。特に、酸素や栄養素の通り道となる血管を覆う細胞の糖鎖変化は、細胞間の相互作用や情報の伝達という糖鎖本来の役割を考えても心臓への大きな負担になることが容易に想像できます。
図 4 マウス心臓の加齢による糖鎖変化の特徴。心臓の内側に多く見られた糖鎖の模式図(上)。内側では若齢で
糖鎖が変化し成長したマウスの糖鎖組成が類似、壁側では成長してから糖鎖が変化する傾向にあった(下)。
図 5 若齢では細胞膜を示す緑の線が明確なのに対し、老齢では歪んだり途切れたり、
ところどころ幅が広くなるような変化が観察された。(文献6改変)
普段、私たちは「体が疲れて足がだるい」とか「睡眠不足で頭が働かない」などと思うことはあっても、「今日は心臓が疲れて元気がないな」などと思うことはありません。激しい運動の後に、心拍や脈が速いと感じることはありますが、「じゃあ今日は心臓を休めよう」というわけにはいきません。しかし、心臓は常に皆さんの体を支え、年齢とともに歳を重ねていきます。心臓も老化し、それは確実に糖鎖の変化として現れています。心臓の細胞あるいは組織の状態が変化しているということは、心臓全体での変化も生じているということです。この変化が大きくなることで機能低下あるいは疾患発症のリスクが増加すると考えられます。つまり心臓の老化とは、糖鎖などの分子変化の蓄積が機能に影響を与えた結果だといえます。外科的手術が必要となるような深刻な状態になる前に、早期に発見できる分子・方法を探索する必要があります。
これまでご紹介してきたように、心臓の老化を糖鎖の観点から調べることにより将来的には、1)変化を正確に理解し、疾患発症と区別する2)予防や早期診断など健康維持のために備える3)機能低下や病態のメカニズムを解明し、治療・薬剤開発に活かすことができるというメリットがあります。現在は組織の解析が主になりますが、将来的にはバイオマーカーのように血液や尿など侵襲性の低い生体物質から心臓の"元気度"を知ることが可能になるかもしれません。そうすることで、元気なまま歳を重ねていくことの実現性が高まります。今後は、さらに詳細な糖鎖の構造と、糖鎖の変化がどのような意義を有するかについての研究を進めて参ります。
皆さんも休むことなく働いている皆さん自身の心臓、そして自分自身をいたわりほめてあげて下さい。
各研究成果の詳細については当チームのHPに掲載されています。
1. Toyoda M, et al., Lectin microarray analysis of pluripotent and multipotent stem cells. Genes Cells. 16:1-11.
2. Kuno A, et al., Evanescent-field fluorescence-assisted lectin microarray: a new strategy for glycan profiling. Nat Methods. 2:851-6, 2005.
3. Pilobello KT, et al., A ratiometric lectin microarray approach to analysis of the dynamic mammalian glycome. Proc Natl Acad Sci U S A. 104(28):11534-9, 2007.
4. Itakura Y, et al. N- and O-glycan cell surface protein modifications associated with cellular senescence and human aging. Cell Biosci, 6:14, 2016.
5. Itakura Y, et al., Glycan characteristics of human heart constituent cells maintaining organ function: relatively stable glycan profiles in cellular senescence. Biogerontology 22:623-637, 2021.
6. Itakura Y, et al., Spatiotemporal changes of tissue glycans depending on localization in cardiac aging. Regen Ther, 22:68-78, 2023.
・研究成果:老化に伴い生じる心臓組織糖鎖の時空間的変化とその局在に関して「Regenerative Therapy」に発表しました。
・研究成果:「臓器としての機能を維持し続けるヒト心臓構成細胞の糖鎖の特徴は細胞が老化しても保持されている」について発表。
・研究トピックス:細胞が教える加齢のサイン ~糖鎖から見た老化の世界~